『理念と経営』WEB記事

真に経営者としての気概はあるか?

キヤノン電子株式会社 代表取締役会長 酒巻 久 氏 ✕ 一橋ビジネススクール特任教授 楠木 建 氏

実質赤字経営に陥っていたキヤノン電子を、利益率10%超の高収益企業へとけん引した酒巻久会長。さらに宇宙ビジネスにも乗り出し、いまにつながる民間主導の先駆けとしても注目を集めてきた。その見事な経営手腕に「経営者次第で会社はどうにでもなる」ことを痛感したという楠木建特任教授が、キヤノン電子再建のプロセスに迫る。

時間をかけて観察しないと人の本質はつかめない

楠木 僕は、酒巻会長が一昨年に上梓されたご著書『左遷社長の逆襲』(朝日新聞出版)に、大変感銘を受けました。

酒巻 楠木先生には、あの本の帯に「推薦の辞」もいただきましたね。その節はありがとうございました。

楠木 あの本の帯に、僕は「経営者は全権限を持ち、全責任を負う。経営者次第で会社はどうにでもなる」と書かせていただきました。当たり前のことのようですが、大半の社長はその境地に達していないと思うんです。単に社長というポストに就いているだけで、真の経営者になれていないケースがあまりにも多い。
その中にあって、1999(平成11)年にキヤノン電子の社長に就任されてからの酒巻さんは、まさに真の経営者の仕事をなさった。素晴らしい手本をお示しいただいたと感じています。

酒巻 いやいや、恐縮です。

楠木 キヤノン時代の歩みも、近年の宇宙ビジネスへの挑戦も興味深いのですが、今日はキヤノン電子再建のプロセスを中心に伺いたいのです。そこが“いちばんコクのあるところ”だと思いますので……。社長に就任されたころのキヤノン電子は、どんな状況だったのですか?

酒巻 キヤノンの生産子会社ですから、キヤノン本体から潤沢な資金援助があって、それで成り立っていましたが、単体としては実質赤字でしたね。利益率は1%台でしたし、多額の借入金や不良資産も抱えていました。キヤノンの常務がそんな会社を任されるのは異例のことで、傍目からは「左遷」に見えたでしょう。

楠木 再建にあたって、酒巻さんは就任1年目にはあえて人事に手をつけなかったそうですね。つまり、最初の年は残すべき人材を見極めることと、赤字の原因究明に徹した、と……。

酒巻 私はキヤノン時代、赤字事業の後始末を任されることが多かったんです。例えば、電卓が売れなくなったころ、その部門の“店じまい”の指揮をとったりね。
そういう経験を重ねる中で、「じっくり時間をかけて観察しないと、人の本質はつかめない。残すべき人を見極めるにも1年はかかる」と痛感していたんです。だからこそ、キヤノン電子でも1年目は黙って見ていました。

楠木 「観察」の中身がまた面白くて、キヤノン電子の本社がある秩父(埼玉県)の街に出て、食堂・喫茶店・クリーニング店・居酒屋などの店主たちと親しくなって評判を聞いて回ったとか。

酒巻 ええ。それをやると、会社だけではわからない別の姿が見えますから。当時のキヤノン電子の幹部は、総じて評判が悪かったですね。態度が横柄だとか、スナックのツケがたまっているとか(笑)。

楠木 秩父ではキヤノン電子は誰もが知る名門企業だから、どうしても態度が大きくなりがちだったのでしょう。そんなふうにして人を見極めたあと、2年目に酒巻さんは人事改革の大鉈を振るったわけですね。

酒巻 はい。まず第1弾として、親会社から来ている役員のほとんどを、キヤノンに引き取ってもらいました。

楠木 年齢的には50代以上くらいで、キヤノンでの仕事も一段落して、「これからは子会社でゆっくりしよう」と思っていた人たちですね?

酒巻 そうです。なので、彼らは私に不満を抱いていました。「俺のサラリーマン人生最後の幸せを邪魔しやがって」と。でも、そんな不満を聞いていたら改革が進みませんから、無視しました。

トップレベルの高収益企業
目指す、改革のロードマップ

楠木 酒巻さんは、社長就任直後の幹部との初顔合わせで、「世界でトップレベルの高収益企業になろう」という目標を掲げ、達成するためのロードマップを示されましたね。
(1)コスト削減、
(2)営業収支の改善、
(3)自己資本の充実、
(4)コアビジネスへの注力、
(5)顧客重視
―この5つを順にやっていくと宣言されたわけですが、なぜこの順番だったのですか?

酒巻 キヤノン電子の再建を任されたとき、私は手本になるような先行事例を探しました。そして、1980年代に米国の銀行家であるジョン・リードが米銀大手・シティコープを再建したやり方を手本にしようと決めたんです。金融と製造で業種は違っても、経営の本質は変わりませんからね。

楠木 最初にコスト削減して利益を出すことに集中されたのはなぜですか?

酒巻 キヤノン時代に赤字事業の後始末を任された経験から、ダメな組織には売り上げの20~30%くらいのムダがあることに、私は気づいていました。それを7~8%に抑えれば、ムダを利益に転換できるんです。

楠木 徹底したムダ削減のために、酒巻さんは就任3カ月目にして、4つあった関連会社を整理して、そこに出していた仕事を内製化するという大鉈を振るいました。そして2年目から、いよいよ人事面での改革をスタートさせます。

酒巻 ええ。私は「再建のための人事は上から手をつけること」が鉄則だと思っています。「魚は頭から腐る」と言いますし、地面に藁のムシロを被せると下にある草が伸びずに枯れてしまいます。会社も同じことです。
意欲のない幹部はどかさないと、下にいる若手の芽まで摘んでしまいます。ですから、1年観察してダメな幹部だと判断した者は、本人にちゃんと理由を説明して降格させました。

楠木 降格というのは人事の非常に有効なカードですが、日本では滅多に使われないカードになっていますね。でも、酒巻さんは再建のプロセスで、それを使っていかれた。

酒巻 ええ。ただ、敗者復活の道はきちんと残しましたよ。降格されてすぐに辞めた者も多いですが、残った者の8割くらいは頑張って働く姿勢に変わったので、1年以内に元の役職に戻しました。

楠木 幹部たちの降格を断行したことで、酒巻さんの本気度を思い知って、心を入れ替えたわけですね。
それから、酒巻さんは就任時に示した改革のロードマップの中で、「すべてを半分にしよう」と銘打った「TSS1/2」という運動を始めましたね。これについて教えてください。

酒巻 「TSS」は「Time&Space Saving」の略です。作業時間などの時間(Time)、人や物の移動距離などの空間(Space)、不良率やCO2排出量など、すべてを徹底的に節約(Saving)して半分に減らそうというのが、「TSS1/2」でした。
元々は、私がキヤノンでコピー機事業を担当していたとき、「(先行メーカーである)ゼロックスにどうやったら勝てるだろうか?」と考えて始めたもので、それを応用したのです。

楠木 半分にしようという取り組みの中でユニークなのは、会議時間短縮のために「立ち会議」を取り入れたことです。

酒巻 はい。会議室から椅子を撤去しましてね。立ち会議を導入してからというもの、ダラダラ長い会議はなくなりました。半分どころか、2日半かけてやっていた経営会議が2時間で終わるようになりましたよ(笑)。以来、わが社はいまに至るまで立ち会議を活用しています。

楠木 なるほど。

酒巻 話を戻しますと、「TSS1/2」などで徹底して改革を進めていった2年目以降、ついてこられなくて辞めていく50代の社員も増えました。
改革に対応できなかったとはいえ、それまでキヤノン電子を支えてきた功労者たちですから、きちんと報いてあげようと考えました。

そこで、退職金を支払っただけではなく、「生活保証金」として、退職後の5年間、給与の60%を毎月支給したのです。「辞めていく人間にそこまでする必要があるのか? それこそムダではないか」という社内の反発もありましたが、私が決断しました。

楠木 その「生活保証金」が、トータルでおよそ30億円に達したそうですね。考えてみれば、改革についてこられない社員をつくったのは歴代経営者の責任ですから、会社がそのコストを払うべきだというのは筋が通っています。それに、30億円負担しても、意欲のない社員に給料を払い続けるより、長い目でみればよほど節約になるわけですね。

酒巻 はい。また、それだけ手厚く遇すれば、辞めていった人たちもキヤノン電子の悪口は言いませんからね。その点でも意味のある30億円で、決してムダではありませんでした。

「人間尊重の経営」は私にとっての大原則です

楠木 改革に不要な人を冷徹に切り捨てる一方で、酒巻さんは「人間尊重の経営」ということを就任当初からおっしゃっていましたね。
一例として、「私が社長でいる限り、たとえ借金をしてでもボーナスは年間6カ月分必ず支給する」と約束したとか。

構成 本誌編集長 前原政之
撮影 中村ノブオ


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 10月号「巻頭対談」から抜粋したものです。

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