『理念と経営』WEB記事

第71回/『左遷社長の逆襲』

キヤノン電子再建の歩みを赤裸々に綴った

『理念と経営』2023年10月号(9月21日発売)の巻頭対談は、キヤノン電子の酒巻久会長をゲストに、楠木建・一橋ビジネススクール特任教授をホストにお迎えしました。

対談の冒頭に、本書の書名が登場します。楠木教授が、「僕は、酒巻会長が一昨年に上梓されたご著書『左遷社長の逆襲』(朝日新聞出版)に、大変感銘を受けました」と、そこから話を始めているのです。

『左遷社長の逆襲』は、大手精密機器メーカー・キヤノンの常務であった酒巻氏が、子会社のキヤノン電子の再建を託され、1999年に社長に就任してからの歩みを赤裸々に綴った1冊です。

再建劇における酒巻氏の見事なリーダーシップについて、楠木教授は対談で、「まさに真の経営者の仕事をなさった。素晴らしい手本をお示しいただいたと感じています」と絶賛。その後の語らいも、キヤノン電子再建のプロセスが中心になっています。

今回の巻頭対談に感動された方は、『左遷社長の逆襲』も読まれるとよいでしょう。紙数の都合で対談では触れられなかったエピソードも多いので、感動と理解が一層深まるはずですから。

「ダメ子会社」から高収益企業への変革

本書の副題は、「ダメ子会社から宇宙企業へ、キヤノン電子・変革と再生の全記録」というものです。
副題に言うとおり、酒巻氏が社長に就任した当時のキヤノン電子は「ダメ子会社」でした。

《キヤノン電子は、いまでこそ高収益企業として知られるが、当時は利益率1%台にすぎず、しかも多額の借入金や不良債権を抱え、実質的には赤字経営だった。キヤノンの常務が、そんな会社を任されるのは極めて異例で、明らかに「左遷」だった》

「ダメ子会社」だったキヤノン電子を高収益企業に生まれ変わらせたのが、社長時代の酒巻氏だったのです。その見事な蘇生の軌跡が、本書にはつぶさに明かされています。

目を引くのは、酒巻氏の著書であるにもかかわらず、本文が「酒巻は……思った」という三人称で綴られていること。その理由について、「まえがき」には次のように明かされています。

《ものづくりの醍醐味は、多くの人との協業にある。私が偉そうに、一人、旗を振っても、それを信じて、ともに進む社員がいなければ、何も成すことはできない。
 そのことを伝えるためにも、本書ではあえて三人称とし、私以外のものづくりにかける社員の姿も多数、描くこととした》

そうしたスタイルを取ったことによって、酒巻氏の独白というより、臨場感あふれる群像劇の感覚で、本書は読むことができます。あたかも、NHKテレビの人気ドキュメンタリー『プロジェクトX』を観るように……。

ものづくりが「協業」であるのは無論そのとおりですが、本書を読むと、キヤノン電子再建は酒巻氏という稀有な経営者抜きでは成し得なかったことが、よくわかります。

徹底したムダ削減と「人間尊重の経営」を両立

読者の中小企業経営者の中にも、「自社のダメな部分を徹底改革したい」とか、「自社を何とか再建したい」と、逆境の渦中で切実に思っている方はおられるでしょう。

そうした方々にとって、酒巻氏が推進したキヤノン電子再建の歩みは、改革・再建のロールモデルとなるものです。
無論、キヤノン電子は日本を代表する超一流メーカーの子会社であり、同社自体も大企業ですから、中小企業とは規模が異なります。それでも、改革の本質は変わりませんから、手本とすることができるのです。

酒巻氏は、社長就任から6年で、売上高経常利益率を1%台から10%超に成長させました。その原動力となったのがムダの削減でした。
氏は、社長就任直後の役員・幹部社員との初顔合わせで、次のように宣言します。

「真っ先に行うべきはコスト削減です。一般に業績のよくない会社は売上の20~30%にムダがあるとされます。これを7~8%に抑えることができれば、ムダの10~20%を利益に還元できる」

酒巻氏が「会社のアカスリ」と表現するムダの削減は、徹底したものでした。たとえば、4つあった関連会社を整理し、そこに出していた仕事を内製化したり、親会社から来ていたやる気のない役員の多くをキヤノンに引き取ってもらったり……。

そして、ムダ削減のために推進されたのが、「すべてを半分にしよう」と銘打った「TSS1/2」という運動でした。
「TSS」とは「Time&Space Saving」の略で、作業時間などの時間(Time)、人や物の移動距離などの空間(Space)、不良率やCO2排出量など、すべてを徹底的に節約(Saving)して半分に減らそうというものでした。

ムダの削減ばかりを強調すると、酒巻氏が単なる「コストカッター」に思えてしまうかもしれません。しかし、それは酒巻流改革の一面でしかありません。
ムダを冷徹に切り捨てる一方で、酒巻氏は就任当初から「人間尊重の経営」を宣言し、一人ひとりの社員を大切にする改革も推進していったのです。
一例を挙げれば、社内のトイレや社員食堂の全面リニューアル、食事内容の劇的改善には、惜しまずお金を注ぎ込みました。

また、改革についていけず、辞めていった中高年のベテラン社員に対しては、長年会社に尽くしてくれた功労者なのだからと、退職金以外に「生活保証金」として給与の60%の金額を、5年間にわたって支払い続けました。「辞めていく人間に対してそこまでする必要があるのか? それこそムダではないか」という反対の声も社内にあったものの、酒巻氏が決断して実行したのです。

そのような「人間尊重の経営」について、巻頭対談で楠木教授は、「いまで言う『人的資本経営』を、酒巻さんは四半世紀も前から先駆的に実践しておられた」と評しています。

冷徹なムダ削減と、あたたかい「人間尊重の経営」を両立させていたからこそ、酒巻流改革は社員たちに歓迎されたのです。

宇宙ビジネス挑戦の舞台裏も

ムダを削減して利益率を上げるまでで終わるのではなく、溜めた利益を新規事業に投入するのが、酒巻流改革のポイントの一つです。
そこには、「時代に応じて変わり続けなければ、企業に未来はない」という認識があるのでしょう。

そして、社長就任から10年を経た2009年に酒巻氏が打ち出したのが、宇宙ビジネスへの挑戦でした。本書も、全5章のうちの4~5章を、その挑戦の軌跡を振り返ることに割いています。

酒巻氏は社長就任当初から(厳密にはキヤノン時代から)宇宙ビジネスへの挑戦を考えていたとのことですが、10年間それを公言せず、胸に秘めていました。親会社のキヤノンに頼るのではなく、自力で溜めた資金を投じて宇宙ビジネスに挑戦するためでした。赤字を解消し、必要な資金をプールできるまでに、10年を要したのです。

宇宙ビジネスに挑戦した理由について、酒巻氏は巻頭対談で、「『社員たちに大きな夢を与えたい』と思ったのです」と述べました。
松下幸之助らの名経営者が、「経営者としての大きな任務の1つは、社員に夢を持たせること」という主旨の言葉を、共通して遺していることを思い出させます。

自力で挑戦し、ビジネスとしてきちんと成立させたこと、そして、社員に夢を与えるものになっていること――以上の点で、酒巻氏の宇宙ビジネスへの取り組みは、新規事業挑戦のあり方の手本でもあるでしょう。

当連載の第67回で取り上げた『宇宙ベンチャーの時代――経営の視点で読む宇宙開発』に詳述されているように、いまや米国でも日本でも、多くのスタートアップが宇宙ビジネスにしのぎを削っています。同書では、2021年を「民間宇宙ベンチャー元年」と位置づけていました。

つまり、民間宇宙ビジネスの時代の本格的幕開けよりはるかに早く、酒巻氏は宇宙ビジネスへの挑戦を考えていたわけです。その並外れた慧眼にも驚かされます。

経営者としての基本的な心構えから、具体的な改革の手順まで――本書を読んで中小企業経営者が酒巻氏から学ぶことは、たくさんあるはずです。

酒巻久著/朝日新聞出版/2021年11月刊
文/前原政之

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