『理念と経営』WEB記事

フェアネスを貫く 覚悟を持て

前田薬品工業株式会社 代表取締役社長 前田大介 氏

データ改ざん発覚による父親の引責辞任から始まった 3 代目社長の歩み。再建を目指しての茨の日々が、会社と自らを鍛え上げ、強靭にした―。

なぜ、データ改ざんは起きてしまったのか?

前田薬品工業(以下、前田薬品)は、ジェネリック医薬品の外用剤(軟膏、貼り薬など)で売上高国内トップ5に入る。また、直近 5 期で売上高を 29 億から 42 億円に伸ばすなど、着実な成長を続けている。今期も、過去最高益を更新する見込みだという。

だが、つい 10 年前には、創業以来最大の危機を迎え、会社の存続すら危ぶまれた時期があったのだ。2013(平成25)年に、大手医薬品メーカー・A社から受託製造した医薬品の試験データ改ざんが発覚。その不祥事から始まった危機であった。

現社長・前田大介さんは、当時まだ専務であったが、改ざん発覚からの激動の中を、矢面に立って奔走した。
そもそも、発端となったデータ改ざんはなぜ起きたのだろう?

「背景には、当時うちの会社がいまの 4 倍以上の取引先、 7 倍以上の取り扱い品目を抱えて、キャパシティー(能力)を大幅に超えていたことがありました」
過剰な受託と、新しい薬を次々と出していかなければ立ち行かない自転車操業的状況―それが改ざんの引き金になった。

「薬効成分の数値が基準に満たず、本当は薬として出せなかったのに、試験データを改ざんして出してしまっていました。誰が指示したのかは、もうわかりません。みんなが目の前の納期に追われていたし、薬が出せずに損失が発生することを恐れていたのです」
新しく就任した品質保証部長が試験データの不自然さに気づき、同じ薬の 1 年前、 2 年前のデータを調べたところ、改ざんが発覚したのだ。

「このままでは潰れてしまう。どうか助けてください」

改ざんの当該企業・A社からは、薬の回収費用や逸失利益など、計 10 億円以上の損害賠償を求められた。言われるまま全額支払っていたら、その時点で倒産していただろう。しかし、交渉を重ねた結果、賠償額は 2 億 5000 万円に〝圧縮〞された。A社からは他に二十数品目も受託していたため、前田薬品が倒産してしまったら、彼らも困る立場だったのだ。

改ざんは当然ニュースとなり、本社がある富山県からの査察も入った。全品目の過去  4  年間のデータを徹底調査して、他にも改ざんが行われていなかったか検証することが求められた。そのため、社員たちは 8 カ月間にわたって深夜まで残業を重ね、残業代だけでトータル数千万円に及んだという。

調査の結果、他にも 1 件だけ、同時期の改ざんが見つかった。そのことが決め手となって、 11 日間の営業停止という行政処分を受けた。

一連の騒動は、社員の大量退職も招いた。改ざん発覚からの 3 年間で、社員の約半数が去っていったのだ。
当時、前田薬品には取引銀行が11行、仕事を受託している製薬会社が四十数社あった。前田さんはその一つひとつに出向き、頭を下げて回った。

「もちろん謝罪の意味もありましたが、それ以上に、『このままでは潰れてしまうので、どうか助けてください』という懇願でした。銀行には融資を、製薬会社には取り引きを続けてもらえますように、と……」
改ざん発覚後、貸し剥がしをしてきた取引銀行もあれば、取引停止を通告してきた製薬会社もあった。当時のメインバンクを訪れたときには、担当者から「ようやってくれたな!」などと罵倒され、タバコの煙を吹きかけられたという。

「くやしかったですが、そのことでメインバンクを変えたわけではありません。富山県内のシェア拡大を狙った別の銀行から、再建のために条件のいい長期融資をするという申し出を受けたのです。おかげで、いちばんつらい時期を持ちこたえることができました」
銀行間のシェア争いに助けられた格好だが、「捨てる神あれば拾う神あり」でもあった。

取材・文・撮影 編集部


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 9月号「逆境! その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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