『理念と経営』WEB記事

いい人がいい仕事をするから技術が高まる

株式会社浅井農園 代表取締役 浅井雄一郎 氏

大規模な農業用ハウスでロボットやAIを活用し、スマート農業で日本の最先端を走る浅井農園(三重県津市)。国内屈指の研究を行える背景には、浅井社長の「いい仕事をする」という経営観がある。

農業ビジネスは現場×サイエンス

本社脇にある研究用のハウス。中に入ると、あざやかな実をつけた、見上げるほどのミニトマトの木が何列も整然と並んでいる。まるでミニトマトの森である。

世界各地で見つけたミニトマトの品種が植えられ、評価試験やさまざまな分析を行っているという。温度、湿度、CO2値、光の量などのデータを蓄積し、ミニトマトが育ちやすい環境をつくる最適値を探っているのだ。

こうした科学的アプローチを続け、全国平均の約4倍の生産性を確立した。今年の予想出荷量は3000トン。浅井農園はミニトマトの全国有数の農業法人である。

———「『常に現場を科学する』研究開発型の農業カンパニーをめざす」というスローガンを掲げられていますね。

浅井 明確にそれを打ち出したのは2015(平成27)年くらいからです。研究ハウスが完成し、地元の三重大学大学院に中国から留学していた農学研究者の呉婷婷(ウ・ティンティン)さんが入社してくれたことなどが背景です。でも、当初からそういうマインドセットはあったと思います。

植物が育つ仕組みは完全なる植物生理学に基づくサイエンスの世界の営みなんですね。僕自身も三重大学の大学院で学び始めるんですが、そのころからビジネスとして農業を成立させるにはアカデミアと現場の両輪が大事だと考えるようになったんです。

———と、おっしゃいますと?

浅井 植物や土、環境などをちゃんと見て何かの変化に気づく。これは現場でしかできません。その変化に対応して、植物の生育を最適化していくアプローチはサイエンスのなかにしか答えがないんです。

———だから「常に現場を科学する」なんですね。

浅井 はい。篤農家の方は、さまざまな知識を経験と勘で体に染み込ませていらっしゃったと思います。だけど、僕らは組織でやっているので、その経験と勘を知識として共有していかなければなりません。それであらゆるデータを数値化していったわけです。

——— “見える化”された、と?

浅井 さまざまなデータも、植物の変化も見える化し、科学的な知見を共有していきました。当初は走りながらでしたが、意識しなくてもPDCAを速く回すには見える化するしかないと思っていました。

———PDCA、ですか?

浅井 農業でも大切なのは問題意識なんです。ある変化に気づき、なぜと疑問をもって行動を起こし、検証し、修正する。そういうことが自然にできる集団でありたいと思っているんです。

———「アグロノミスト」集団になろうとも、おっしゃっています。

浅井 農業者であり、科学者である。そういう集団になりたいし、なりつつあると思っています。



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祖業低迷の危機からミニトマト栽培を開始

浅井農園の創業は1907(明治40)年。サツキやツツジなどを育てる植木農家で、浅井さんは5代目に当たる。

高校までは、家を継ぐのは既成のレールに乗っかるようでイヤだったという。ところが、大学1年生の夏休みに父の勧めで3カ月間、アメリカの種苗会社にインターン研修に行った。この経験が農業への見方を変えた。

「うちは家族経営でしたが、そこは200人ほどの会社でした。週末になると社長がバーベキューの肉をみんなに振る舞ってくれるんです」

こんな農業もあるのか、と思った。ビジネスとしての農業に憧れを抱くと同時に、日本の農業への危機感も持った。その後、大学が休みに入ればリュックを背負い、世界を旅して各地の農業を見て回った。

大学を卒業すると農業関係のコンサルティング会社などに勤め、2008(平成20)年5月、結婚を機に家に戻った。二八歳だった。

大学を卒業すると農業関係のコンサルティング会社などに勤め、2008(平成20)年5月、結婚を機に家に戻った。28 歳だった。

———そのとき会社はどんな状況だったのですか?

浅井 家に戻って初めて決算書などを見たんですが、驚きました。赤字で借金もあり、債務超過でした。サツキやツツジは公共緑化樹木で、公共事業などで開発がかかると必ず使われる樹種でした。ところがバブル崩壊以降は需要がなくなったんです。売り上げは最盛期の1割ほどです。まったく出口が見えない状況でした。

———それでミニトマトを?

浅井 なんとかしなければいけないと昼間は植木の仕事をして、夕方からミニトマトの試験的栽培を始めたんです。植木の苗づくりに使っていた360平米のハウスを修理して、ミニトマトを育てました。

———なぜミニトマトなのですか。

浅井 ある肥料会社が新規開発でミニトマトをやろうとしていたのを手伝ったことがあったんです。それがすごく美味しくて、ミニトマトしか思いつかなかったんです。1年目から美味しいミニトマトはできたんですが、収穫量が伸びない。ストレスをかけ過ぎたんです。

———トマトは水をやらなければ甘くなると言いますね。

浅井 そうなんです。でも、それは収穫量とは相反するんです。まだ素人だったから、それがわからない。だけど楽しいんです。ミニトマトに光を感じました。新しいことに挑戦して、一歩ずつ改善していくなかで黒字幅も増えていきました。

———だから続けられた、と。

浅井 ええ。ラッキーだったのはミニトマトの産地じゃなかったことです。近所の農家に聞いてもわからない。そこで頼ったのが三重大学の生物資源学部の先生や国立野菜茶業研究所(当時)の人たちでした。両方とも自転車で行ける距離にあって、植物生理学や最先端のミニトマト栽培技術などを教えてもらいました。帰ってきた翌年に、「好きにやりなさい」と父が代表取締役を譲ってくれました。こうした挑戦ができたのは、20代で代表になったことも大きいと思っています。

———地元スーパーの社長との出会いも、あったようですね。

浅井 父の知人だったんですが、ミニトマトを味見してもらうと「こんな美味しいミニトマトやったら、どれだけでも買うからハウスをもっと増やせ」と言われたんです。それで、なんとか借金をしてハウスを拡張しました。約4000平米のかまぼこ型のハウスです。そのころには赤字も減り、ミニトマトだけでやれるという手応えを持ちました。この出会いで、日本一美味しいミニトマトを必要な量だけつくる、という基本戦略ができました。



収穫したミニトマトは本社で箱詰めされる。身が房から取れないように手作業で行われる


取材・文 中之町 新
撮影 亀山城次


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 9月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。

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