『理念と経営』WEB記事

経営者の力量とは、 究極的には「人間力」に尽きる

ヤマハ発動機株式会社 顧問 柳 弘之 氏 ✕  株式会社シナ・コーポレーション代表取締役 遠藤 功 氏

リーマン・ショック後の巨額赤字に喘ぐヤマハ発動機の再建を託され、V字回復へと導いた立役者が柳弘之氏である。無駄の排除に徹して工場の集約化などを図る一方、市場拡大への挑戦的開発を行う「破壊と創造」を同時に推し進め、現在の快進撃につながる礎を築いた。その卓越した経営手腕を間近で見てきた遠藤功氏が解き明かす、柳流イノベーションのエッセンス―。

売れそうな商品ではなく、「勝負できる商品」に絞る

遠藤 私は2013(平成25)年から17年までの4年間、ヤマハ発動機の社外監査役を務めさせていただきました。ちょうど柳さんの社長時代に当たります。

柳 私が社長を務めたのは10(同22)年から18年にかけてですから、遠藤先生にお世話になったのは社長時代の後半戦のころですね。

遠藤 まさにそのころ、社長としての柳さんの戦いを、私は間近に拝見したわけです。素晴らしい経営者だと感じ入りました。

柳 いやいや、恐縮です。

遠藤 柳さんは社長になる前に、リーマン・ショック後の巨額赤字からの再建案を策定されましたね。

柳 うちの会社はこれまでに2回、大きな赤字に陥ったことがあります。1度目は1980年代初頭で、2度目がリーマン・ショック後の09(同21)年。赤字幅としては、2度目のほうがはるかに大きかったのです。そんな中、当時の梶川(隆)社長から「再建案を練ってくれ」と命じられました。
当時、私は執行役員ではありましたが、まだ取締役ではありませんでした。私に声がかかったのは、海外駐在が長かったこともあって、海外市場も生産現場もよくわかっていた幹部だったからでしょう。

遠藤 御社の海外売上比率は9割近くにのぼりますから、海外のことがわかっていないと始まらないわけですね。

柳 そうなんですよ。それで、再建案を練るために、同世代10人ほどで「構造改革プロジェクトチーム」をつくりました。そして、負の資産を全部きれいにするため、約1500億円の特別損失を計上して、当時の取締役会に認めてもらったのです。

遠藤 中心となって再建案を策定した柳さん自身が、翌10年には社長に抜擢され、再建の指揮を執ることになります。前年の最終赤字が2000億円以上にのぼった中、どう戦いを進めていかれたのですか?

柳 一つは、「損益分岐点経営」を実践する構造改革ですね。リーマン・ショック後に先進国での二輪車需要が急減して赤字になったという経験から、損益分岐点を下げる努力をすることで生産台数が変動しても利益が出るように、まずは工場集約から始めました。というのも、当時うちの工場は機能別に分散されていたからです。溶接専門、塗装専門、組み立て専門などの工場が、別々に建てられていた。
それでは効率が悪いので、全工程を集約した一貫型工場に再編しました。その後も、理論値生産や高付加価値化等の取り組みを続けています。

商品ラインナップの抜本的見直しも行いました。当時、ヤマハ発動機では3年間で240くらいのニューモデルを出していたんです。それだけ出していながら、リーマン・ショック前の一時期には、ヒット商品が出ていなかった。まったく当たっていなかったんです。
そこで、いったん開発をやめて見直しをしました。そして、ヤマハらしさのある、勝負できる商品だけに絞ろうと考えたんです。多くのモデルが「妥協の産物」になってしまっていましたから。

遠藤 「妥協の産物」というのは、ヤマハらしさの追求というより、流行に目を向けて「売れそうな商品」を作っていたということですか?

柳 それもありますし、たとえばエンジンについても、「ありもの」をそのままニューモデルに使うとかね。ありものを使えば楽に作れますが、技術的なチャレンジがないままニューモデルを出すことになります。そういうチャレンジのないモデルは全部切り捨てて、勝負できるモデルだけを残しました。

遠藤 商品面の大改革をされたということですね。その改革から、やがてヒット商品も生まれてきます。

柳 ええ。代表的な大ヒット商品が、2013(平成25)年に発売した「MT-09」という大型バイクです。

遠藤 よく覚えています。あれは技術的なチャレンジがある「勝負できる商品」だからこそ大ヒットしたのですね。

柳 そうなんですよ。1リッタークラス(1000cc超の排気量)のバイクには四気筒エンジンを使うのが業界の常識だった中で、うちの技術陣はあえて三気筒で勝負したんです。それによって、車体を軽量コンパクトにできるなどのメリットが生まれました。当時、業界では「マイナーだった三気筒を、メジャーにした」と評されたものです。

どんな分野の会社であれ、「守りと攻め」の両輪が不可欠

遠藤 私が柳さんを優れた経営者だと特に感じるのは、「守りと攻めのバランス」が取れているところです。口で言うのは簡単ですが、「守りつつ攻める」というのは大変難しいことです。それは言い換えれば、「破壊と創造」を同時に行うようなものなのですから……。

ヤマハ発動機を巨額赤字からV字回復させて黒字化するプロセスで、柳さんはそれを見事に両立させました。工場の集約化などで、無駄を大幅に削減する「守り」を進めつつ、一方では開発部門の社員たちのチャレンジ精神を呼び覚まし、挑戦的な新商品開発を進めていったのです。卓越した経営手腕だと思います。リーマン・ショック後の最大の危機に際して、柳さんのような社長を立てることができたのは、ヤマハ発動機にとって非常に大きい幸運でした。

柳 ありがとうございます。とにかく赤字を解消しなければいけなかったので「損益分岐点経営」を推進しましたが、おっしゃるとおりそれは「守り」なので、それだけでは次の飛躍はありません。成長戦略、もしくは市場拡大につながるような「攻め」もないといけないのです。
どんな分野の会社であれ、また、会社の規模の大小にかかわらず、経営には「守りと攻め」の両輪が必ず必要なのだと思います。どちらか一方に偏ってはいけない。

遠藤 柳さんの「守りと攻めのバランス」を象徴しているのが、画期的エンジン「BLUE CORE」の開発・導入だったと思うんです。「BLUE CORE」をプラットフォームとして標準化することでコストダウンできたという意味では、「守り」の一手でした。一方で、開発までに多くの技術的チャレンジがあり、まぎれもない「攻め」の一手だったと思います。

柳 おっしゃるとおりです。「BLUE CORE」の開発には6年かかりました。燃費を1.5 倍に改善しよう―たとえば空冷125ccのスクーターでリッター40キロくらい走れたものを、60キロ走れるようにする―という目標を立てて、それを成し遂げたんです。そのためには、「燃焼効率を上げる」「力の伝達ロスを減らす」「冷却効率を上げる」という三方向での改善が不可欠でした。三つそれぞれに目標を掲げて、各部門からメンバーを集めたプロジェクトチームをつくって開発していきました。

そして、素晴らしいエンジンが開発できたので、「BLUE CORE」という名前をつけたのです。エンジンにブランド名をつけたことも画期的で、それもよかったと思います。単に「125ccのエンジン」というだけでは盛り上がりませんから(笑)。そして、発売直後にはASEAN(東南アジア諸国連合)各国で、「BLUE CORE」がいかに優れたエンジンであるか知らしめる戦略的なマーケティングを、大々的に展開したんです。
それまで、日本のバイクではホンダさんのほうが「燃費がよい」というイメージがありましたが、「BLUE CORE」の浸透によって、うちも対等に勝負できるようになってきました。

遠藤 「BLUE CORE」という名前がついたことによって、世間の認知度も高まったし、社内も『プロジェクトX』的に盛り上がったわけですね。

柳 ええ。それと、「BLUE CORE」の開発にあたって社内横断プロジェクトとして行ったことも、よい経験になりました。開発に携わったメンバーは元の各部門に戻って、いまでは技術面での中核メンバーになっています。

「ヤマハらしさ」の源は、「感性と技術の融合」にあり

遠藤 その「攻め」の部分に不可欠な「挑戦する企業文化」を育むため、大きな役割を果たしたのが、2013(平成25)年に発表された新たなブランドスローガン「Revs your Heart(レヴズ・ユア・ハート)」でしたね。

構成 本誌編集長 前原政之
撮影 中村ノブオ


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 9月号「巻頭対談」から抜粋したものです。

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