『理念と経営』WEB記事

世紀の変り目に吹いた変化の風

宗教学者 山折哲雄 氏

未来の宗教になりうる「万物生命教」

私は、新しい世紀への変り目のあたりから、「エコ・レリジョン」(編集部注:レリジョンは宗教の意)ということを考えるようになっていた。

きっかけは、当時アメリカの地球環境論者として知られるレスター・ブラウンの存在だった。

彼は今日の地球と人類の現状をみて、その地球環境と調和的な関係をとり結ぶ経済をつくらなければならないと唱えて、「エコロジカル・エコノミー(Ecological Economy)」ということをいっていた。その言葉をいただいて、これからの人類の新しい「宗教」もそれと同種のものであってほしいと考えて、「エコロジカル・レリジョン」、略して「エコ・レリジョン」と名づけてみたのだった。ちょうど、この地上では1995年に、日本ではオウム真理教の事件が発生し、2001年にはこんどはアメリカで同時多発テロがおきていたのである。

21世紀は宗教の賞味期限が切れ、寒冷氷河期に入っていくのだろうという予感があったのだ。歴史的宗教の役割は終り、宗派や教会の権威も地に堕ち、これまでの普遍宗教にも冷たい冬の時代が訪れるだろうと思うようになっていたのである。

そんなとき、今から5000年前、1万年前のことをふと振り返るような気分になったことがある。するとそんな時代には、もっと単純・素朴な、万物に生命が宿る、といった信仰がもっとも普遍的なものとしてほとんどの民族のあいだに根づいていたのではないかと気がついたのだ。

以来私は、この「万物生命教」こそがこれからの地球と人類の危機を救う重要な未来の宗教になるのではないか、と考えるようになったのである。これ以外に、もう選択の余地はないだろうと考えるようになった。さらにいえば、この「万物生命教」は、「生物多様性」を超える、それどころかブッダやイエスの教えをも超えるだろうとまで思うようになったのだ。

エコ・レリジョン―語調もいいではないか。ユーモラスな味も出ている。

世界がもし100人の村だったら

ちょうど、あの2001年、9月11日の同時多発テロが発生した前後のころだ。作者不明の2つの詩篇が、世界をかけめぐるようになっていた。

インターネットの電波にのって多くの人々の心のなかに浸透し、感動の輪を広げていた。その一つが「世界がもし100人の村だったら」、もう1つが「千の風になって」である。

この2つの詩篇は、やがて原作者がつきとめられたり想像されたりするようになったが、はじめのうちはそれを知るものは誰もいなかったという。それらの語句は、ただ光のように宇宙のなかを飛び交い、風のように吹きわたっていたのである。

「世界がもし100人の村だったら」をとりあげてみよう。当時、世界には63億人が住んでいたが、かりにその規模を縮小して、100人の村にしたら、いったいどういう光景がみえてくるだろうか。それを巧みな比喩を用いて表現したのが、この詩篇だった。

簡潔な言い回しで、明晰なイメージを喚起することに成功している。今日、人類がおかれている運命の苛酷な状況、そしてわれわれの文明の危機的な様相が、とても鋭い言葉で描きだされている。

撮影 中村ノブオ


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 8月号「私はこう思う」から抜粋したものです。

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