『理念と経営』WEB記事

感謝の念が開いた全員経営への活路

株式会社ホテル松本楼 代表取締役社長 松本光男 氏

危機に毅然と対応する義父の姿勢を心に刻んだ

戦国武将・武田勝頼が兵の湯治場として整備したことが淵源とされる、伝統の伊香保温泉―。「ホテル松本楼」は、その玄関口に位置する。

松本光男社長は3代目に当たる。元々は畑違いの仕事に就いていたが、創業者の孫に当たる松本由起さんとの結婚を機に、後継者となるべく2008(平成20)年に入社したのだ。

当初から専務取締役という立場ではあったが、「何もわからない自分だから、3年間は義父母(当時の社長と女将)から学ぶことに徹しよう」と思い定めた。

その3年の間に、松本楼を苦難が立て続けに襲った。

「リーマン・ショックで売り上げが約1億円下がり、利益が全部吹っ飛びました。そのダメージがまだ残っている時期に、今度は東日本大震災が起きて……」

自粛ムードで温泉旅行どころではなくなり、業界全体が甚大な影響を被った。伊香保でも、従業員の大量解雇や給与カットがあちこちの旅館で起きた。

そうしたなか、先代社長は全従業員を集め、次のように宣言したという。

「この松本楼は絶対に守ります。一人も解雇しませんし、給与も下げません。もし潰れるとしても、伊香保でいちばん最後に潰れるホテルになります。皆さんは安心して働いてください」

その力強い言葉で、従業員の不安は消えた。そして、客足が戻ってきたとき、リストラに走った他の旅館が人手不足で苦しむなか、松本楼は万全の体制でお客様を迎えた。そのことで売り上げが回復したのだった。

義父の振る舞いは、経営者が逆境に立ち向かう姿勢の手本として、松本社長の心に刻まれた。

切り盛りを任された直後、予期せぬ試練が待っていた

入社4年目の12(同24)年1月、義父母は「これから40日間、家を空けてみる。お前たち2人でホテルを切り盛りしてみなさい」と言って、船で世界旅行に出かけた。光男さんと由起さんに経営を任せられるかどうか、力試しをしたのだ。

不思議なことに、その40日の間に、ホテルの大黒柱3人(総料理長・総支配人・調理部長)が相次いで病気で倒れ、入院してしまった。あたかも、運命に試されているかのように……。

「料理部門のナンバーワンと2が不在になったので、そこがいちばん大変でした。みんなでその部門の手伝いをして、何とかしのぎました」

試練を乗り切ったものの、先行きに対する不安はつのった。社員の高齢化(当時の平均年齢は58歳)と、完全分業制という仕事のありようが、企業としての脆弱さにつながっていると痛感したのだ。

そこで、専務として大胆な社内改革に踏み切った。その年の4月に、一気に8人を新卒採用して若返りを図るとともに、社員1人が何役もこなす仕事のマルチタスク化を打ち出したのだ。

「売店や調理場が忙しかったら、その時間だけ手の空いている他部署の人が手伝うとか。当たり前のことなんですが、まったくなされていなかったのです」

だが、マルチタスク化を発表すると、ベテラン社員たちは猛反発した。「雇われるときに、ほかの部署の仕事までやるなんて聞いていないから、できません」と……。そして、発表からの1週間で10人が辞め、その後も五月雨式に退職者が増えていった。

結局、85人いた社員のうち、じつに30人が半年の間に辞めていった。とくにショックだったのは、その年に採用した8人の新入社員が全員辞めてしまったこと。辞めていくベテラン社員が、「ここにいても未来がないから、辞めたほうがいいよ」と新人たちをそそのかしたのだ。

スタッフの3分の1以上を一気に失ったのだから、当然、残った社員は多忙を極めた。とくに、光男さんと由起さんは朝から晩まで駆けずり回って働いた。


コロナ禍下で積極的に設備投資を行い、落ち着いた雰囲気に生まれ変わったフロント


取材・文・撮影 編集部


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 8月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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