『理念と経営』WEB記事

ナンバーワンではなくオンリーワンになる

チョーヤ梅酒株式会社 代表取締役 金銅重弘 氏

CMでおなじみのチョーヤ梅酒(大阪府羽曳野市)は、実入りの梅酒を初めて商品化した先駆者。いまや梅酒の代名詞的存在だが、その道のりは平坦ではなかった。

弱小企業だからこそ「総員セールスマン」に

大阪府南東部の羽曳野市は、日本有数のブドウの産地である。

チョーヤ梅酒のスタートはワインの醸造だった。1914(大正3)年に創業者の金銅住太郎氏がブドウの栽培を始め、やがてワイン醸造も手がけるようになったのだ。

ところが戦後、フランスのボルドーでワインを飲んで驚いたという。安くておいしい。これが日本に入ってきたら太刀打ちできないと、ワインに変わるものを模索した。

梅酒の製造を始めたのは、59(昭和34)年。住太郎氏は3人の息子たちに梅酒づくりを託して、社長を勇退したのだという。

――なぜ梅酒なのでしょう?

金銅 大きな理由は地の利です。

――梅の産地である和歌山に近いということですか。

金銅 それが一つ。加えて、地の利が欧米にあるブドウと違い、梅は日本に地の利があると思ったんでしょう。当時、梅酒は家庭でつくっていたものだったんですが、梅酒も将来は店で買われる時代がくるだろうというのが、祖父の発想にはあったと思います。みそやしょうゆも、もともとは家庭でつくっていたわけですからね。

それに梅酒は、まだ誰も力を入れていない商品でした。成功すれば自分たちがトップメーカーになれるという夢もあったんでしょう。

――その夢を託した、と。

金銅 はい。息子たちには自分が長年やってきたワインを否定してでも、将来性のある新しいことに挑戦させたかったようです。

――なかなか売れなかったそうですね。梅の実が入ってないから本当に梅酒か? と言われたり……

金銅 当時の酒税法では市販するお酒に異物を入れられませんでした。国税庁に掛け合って実を入れる許可まで取ったらしいのですが、酒屋さんも家でつくる梅酒を置くのは渋ったと聞いています。

――2代目の和夫さんがテレビCMを始められますね。

金銅 世間に梅酒を知ってもらうにはメディアで商品を紹介することだというのが父の発想だったと思います。ところが営業を担っていた3番目の叔父(幸夫さん・4代目社長)には「商品は人が売るもんや」という信念があって、弱小企業で営業が少ないからこそみんなで売るんだと「総員セールスマン」と言い続けていました。

海外に出て梅酒の可能性を模索

――大学を出て大手家電メーカーにお勤めだったと聞いています。戻られたのは何年ですか?

金銅 83(同58 )年、29歳でした。まだ売り上げはワインが7割、梅酒が3割という状態でした。製造の責任者だった2番目の叔父(信之さん・3代目社長)も含め「なんとか梅酒が売れるようにしたい」と3人が口を合わせるように言っていました。

――創業者の夢は、ちゃんと継承されていたわけですね。

金銅 そうです。ですが、私について言えば入社したのはいいけれど仕事がないんです。仕事を自分で探さないといけない。いろいろ社内を探しまわって、やったのは新商品の企画でした。しそを入れた赤い梅酒や、甘さを控えた食前酒用の梅酒をつくったりしました。一つの商品をつくるには仕入れ部門から企画や製造などすべてが動くんですね。社内から「やめてくれ」という声が挙がりました。

――通常の段取りが狂う、と?

金銅 それもあるし、昨日今日入社した者が生意気や、という気持ちもあったのでしょう。それでふらっと海外に出てみたんです。

――海外営業ですね。

金銅 カッコ良く言えばそうです。梅酒の甘酸っぱい味は、世界中どこに行ってもわかりやすいということもありました。

――わりと好まれるわけですね。

金銅 そうです。最初はアメリカに行ったんですが、すでに大手メーカーさんが香料や着色料などの添加物を入れた梅酒を安価で売られていました。ウチは梅とお酒と砂糖だけでつくっていましたから、どうしても3、4倍の値段になります。とうてい太刀打ちできない。

次に目を向けたのがアジアなんですが、当時はまだ経済成長の前で、どの国もわれわれの商品を買っていただける状況ではありませんでした。ただ中国だけは将来を見据えて関わりを持ち続けてきたんです。梅の原産地ですし、何よりアジアの多くの国々の経済は中国人が担っていますから。

――それでヨーロッパに?

金銅 はい。ヨーロッパは少しだけ反応があったんです。

――最初の海外拠点をドイツにつくられますね。

金銅 89(平成元)年です。一つはまとまった注文をいただいたことです。ドイツはフランスやイギリスと違い、流通の仕組みが図面に描けるような国でした。それでドイツに事務所を持ったわけです。

ただ、ヨーロッパにはすべてのお酒のルーツがあります。お酒に対する知識と造詣が深いんです。だから、売りに行くというより学びに行くという気持ちでいるんです。彼らと話していると、われわれが何をすればいいのかがよく見えてきて、すごく勉強になります。

――いま海外の売上比率は?

金銅 3割というところですね。

取材・文 中之町 新
撮影 宇都宮寿輝


大阪府羽曳野市にあるチョーヤ梅酒の本社


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 8月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。

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