『理念と経営』WEB記事

自分の生き方を信じて努力を続ける。その努力にこそ幸福が宿る

早稲田大学名誉教授・作家 加藤諦三 氏

ラジオ番組『テレフォン人生相談』のメインパーソナリティーを50年以上にわたって務める加藤諦三さん。どうして、人は悩むのか。幸せになれないのか。「人間の悩みの本質は、昔から少しも変わっていない」と話す。

月曜、朝11時のニッポン放送。

「もしもし、『テレフォン人生相談』です」

ラジオのスピーカーから、心理学者である加藤諦三さんの声が流れてくる。
今年85歳。いまだ現役のパーソナリティーである。
毎回、冒頭に話す言葉が、いい。

「あなたが認めたくないことは何ですか? どんなにつらくてもそれを認めれば、道は開けます」
「苦悩すること。それを乗り越えること。それが人生です」
「自分の心に正直に。ほとんどのことはそれで解決します」……

この言葉を聞くだけで元気が出る。

『テレフォン人生相談』がスタートしたのは1965(昭和40)年1月。加藤さんは72(同47)年からメインパーソナリティーを務めている。もう半世紀を超えた。

人生相談の草分け的番組で、かつ超長寿番組なのである。その理由は何なのだろうか?

「他のラジオ局のように世間的に有名な人を出演者に持ってきて聴取率を上げようとせずに、本当に悩みを抱える人の相談と真剣に向き合う出演者を選んできたからだと思います」

それは、この番組を創設し、長くメインパーソナリティーを努めてきた評論家の山谷親平さんの考えでもあった、と加藤さんは言う。

「ラジオを聴いている人たちは、出演者が真剣にしゃべっているのか、そうでないのか、敏感にわかりますから」

加藤さんの著作は翻訳も含めると700冊にも及ぶ。そのなかには人生論も数多い。ラジオばかりではなく、それらの著作を読み背中を押された人たちは数えきれないのだ。

本来、人間は一人ひとり違う。比較するのはおかしい

加藤さんは1938(同13)年に東京で生まれた。祖父は貴族院議員、父は大学教授だった。小、中学校では“開校以来の秀才”と言われたそうだ。

中学を卒業すると働くのが普通の時代だった。そのなかで、学校でたった一人高校に進学する。当然のように東大を目指した。しかし現役での受験は失敗し、1浪した。

この浪人時代の経験が心理学への扉を開くことになったそうだ。

「当時から僕は著述業をやりたいと思っていたんです。18歳から25歳くらいまでが一番書いていた。だけど、人は僕を浪人生というカテゴリーでしか見てくれません。結局、世間には『番町小学校→麹町中学校→日比谷高校→東大→大蔵省(当時)』という“望ましい”コースがあって、そこからどれだけ外れているか、そのコースとの差で人間の価値が決められていたんです。だけど、そういう価値観はおかしいと思ったわけです」

その思いを原稿用紙にぶつけたのが、処女作となった『俺には俺の生き方がある』だ。

無名の青年の原稿を読んでくれる会社はないと思った。ダメ元で大和書房に持って行ったら、たまたま幸運にも社長が読んでくれ、出版が決まった。

「ダメかもしれないこと」を「ダメに決まっている」と諦めないことの大切さを改めて実感した初めての人生経験であった。もう60年近くも前のことである。

この本はベストセラーになった。多くの若者たちから共感が寄せられた。みんな同じ疑問を抱いていたのだ。

やがて東大の大学院を出た加藤さんは、早稲田大学で教職に就き、同時に深夜放送の先駆けである文化放送の『セイ! ヤング』のパーソナリティーになり、人気を博した。

「僕がこの本で一番言いたかったことは、人を見るときは一つの価値観で見るのではなく、いろんな見方で評価すべきだということです。本来、人間は一人ひとり違うんです。人と自分は比較できない。ところが、人は往々にして他人と自分を比較してしまうんです」

なぜ、そうなってしまうのか。これが心理学を学びたいと思った動機となった。

早稲田大の助教授時代には、米ハーバード大学に留学し、心理学の研究はもとより精神分析学も学んだ。

その向学心は、武装強盗犯たちも恐れるという米コンコード刑務所での受刑者との1対1の面接調査まで実現させた。「警備上必要なときには射殺されることに同意する」という書類にサインをした上で、である。

「一番根源の部分で人間を動かしているものは何か。それを知りたかったんです。正直、怖かったですが、そのためにも刑務所という極限の状況にいる人たちに話を聴きたいと思ったんです」

かねてからの知人だった山谷さんが、そうした加藤さんの姿勢に惚れ込んで『テレフォン人生相談』のパーソナリティーになってほしいと頼んだ。加藤さんはその依頼を一も二もなく引き受けたのだ。



『テレフォン人生相談』のメインパーソナリティーとして加藤さんが表彰された際の記念品。1985年(左)と2021年(右)

取材・文 鳥飼新市
撮影 鷹野晃


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 7月号「人とこの世界」から抜粋したものです。

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