『理念と経営』WEB記事

第56回/『異端の福祉――「重度訪問介護」をビジネスにした男』

重度障害者訪問介護をビジネスにした背景

大ヒットした映画『こんな夜更けにバナナかよ――愛しき実話』(2018年)をご覧になった方も多いでしょう。大泉洋さんが演じる主人公の重度障害者・鹿野靖明が、ボランティアに支えられながら自宅で元気いっぱいに生きていく様子を、笑いと涙の中に描き出した佳編でした。

「愛しき実話」という副題のとおり、鹿野靖明氏は実在の人物。彼を主人公にした、渡辺一史氏による同名ノンフィクションの映画化なのです。

あの映画でもわかるように、これまでの日本では、重度障害者が自宅で生きていくには、ボランティアに支えられることが一般的でした。むしろ、長年の間、“重度障害者は施設や病院で暮らすのがあたりまえ”とされてきたのです。

近年ようやく、重度障害者に対する訪問介護サービスが広がりつつあるものの、施設や人員の大幅な不足があり、全国どこでも受けられるわけではありません。

重度障害者介護に限らず、介護業界全体が深刻な人手不足に陥っています。高齢化の急速な進行もあり、2040年に必要な介護人材は280万人だと言われますが、これは毎年約6万人介護人材を増やしてやっと達成できる数字なのです。

そのような「介護難民問題」を、重度障害者に的を絞って解消しようとしているのが、株式会社土屋(本社・岡山県井原市)です。

2020年8月に創業した新しい会社ですが、23年1月には全国47都道府県すべてに重度訪問介護事業所を構えるに至りました。時代のニーズに合致していたこともあり、急成長している会社なのです。

今回取り上げるのは、土屋の創業者で代表取締役CEOの高浜敏之氏が、今年(23年)3月に刊行した初の著書です。

「異端の福祉」追求に至る、波乱の歩み

高浜敏之氏の半生は波乱万丈です。
プロボクサーになるため、上智大学を中退。その後、ボクサーになるのをあきらめ、慶應義塾大学文学部哲学科に進みますが、父親が末期がんと診断され、休学して働くことに……。

卒業後、介護の世界で働き始め、そのかたわら、障害者の自立を目指す運動やホームレス支援などに邁進します。しかし、仕事と社会運動に励む多忙な日々の中で疲弊し、アルコール依存症に陥り、ドロップアウト。その時期には生活保護を受給して暮らしていたといいます。
ようやく社会復帰して高齢者グループホームで働き始めたのち、同僚に誘われ、2012年に介護系ベンチャーを創業しました。

事業所の責任者になって気付いたのは、重度障害者への訪問介護がどの地域でも足りていないことでした。そこで、2014年、社内に重度訪問介護事所を立ち上げます。
5年後には43都道府県にまで事業所が拡大しますが、経営方針の違いから、高浜氏は従業員約700人とともに別会社を立ち上げ独立します。それが現在の株式会社土屋なのです。

つまり、土屋にはスタート時点で確固たる土台があったわけで、ゼロから築き上げたのではありません。とはいえ、そこから急成長に導いたのは、高浜氏の経営手腕でしょう。

土屋は、創業からわずか2年で売上50億円超を達成。業界で唯一、重度訪問介護事業所を47都道府県すべてに設置した企業にもなりました。従業員数も、スタート時の約700人から、23年4月末時点で2534人にまで拡大しています。

急成長の背景にあるのは、福祉業界では「異端」である《スケールメリットや速度、効率性やDXを重視するビジネスモデルを選択した》ことです。

《日本の福祉に対するイメージには、ボランティア(無償や低報酬での奉仕)や清貧を善しとする向きがありますが、私はあえて真逆の道を選びました。効率性を重視して利益追求を怠らず、貪欲に事業拡大していくことや、高い給与水準を実現することに力を注いでいるのです》(「プロローグ」)

ゆえに、タイトルが『異端の福祉』なのです。

介護業界の未来を見据えて

「福祉は清貧であるべき」と考える人は、高浜氏の経営姿勢に眉をひそめるかもしれません。しかし、私は正しい方向性だと考えます。
営利企業である以上、利益を上げなければ持続できないのは当然です。上げた利益を社会課題解決に結びつけているのですから、むしろ称賛されてしかるべきでしょう。

しかも、土屋は介護業界の慢性的な人手不足を解消すべく、人材養成研修事業所「土屋ケアカレッジ」を設立しました。同カレッジは、すでに全国に26教室を構えています。また、重度訪問介護の実態を客観的に調査し、政策提言につなげていくためのシンクタンク部門「土屋総研」も社内に設置。いずれも、介護業界では稀有な例でしょう。

以上の例から感じるのは、介護業界の未来を見据え、その持続可能性を重視して経営を進めていることです。型破りな経営手法で「介護業界の風雲児」とも呼ばれる高浜氏ですが、氏のようなイノベーターが介護業界には必要でしょう。

社会課題解決と営利追求の両立

本書は高浜氏が来し方を振り返った著作ですが、株式会社土屋の「企業本」でもあります。後半では、土屋のクライアント(利用者)や現場スタッフの声も紹介され、同社の舞台裏が多角的に深掘りされています。

のみならず、介護業界の歴史と現状や、日本で重度障害者が置かれてきた立場の歴史にも、かなりの紙数が割かれています。つまり、介護や障害者福祉の概説書として読むこともできるのです。その分野に関心のある人には一読の価値があるでしょう。

そして、介護や福祉と無関係の中小企業経営者が読んでも、「経営書」として読み応えがあるはずです。

《私がこの会社でやろうとしていることは大きく2つあります。一つは全国に事業所を構え、重度訪問介護サービスを必要としている人に隈なく届けること。もう一つは会社を大きくすることで介護職の待遇アップを図り、福祉を夢のある仕事にすることです》

この言葉が象徴するように、高浜氏が成し遂げようとしているのは社会課題解決と営利追求の両立です。

『SDGsビジネスモデル図鑑――社会課題はビジネスチャンス』(深井宣光著/KADOKAWA)を取り上げた回(第53回)でも述べたことですが、いまはもう、社会課題の解決を通じて儲けることをうしろめたく思う必要などない時代です。
利益を上げることが社会課題解決に結びつくなら、まさにWin-Winであり、むしろビジネスのあり方として理想的と言えるのですから。

本書もまた、そのような時代にふさわしい経営のありようを提示した一冊なのです。

高浜敏之著/幻冬舎/2023年3月刊
文/前原政之

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