『理念と経営』WEB記事

第54回/『逆境経営』

大企業版「逆境! その時、経営者は…」

月刊『理念と経営』には、創刊直後から現在まで続く「逆境! その時、経営者は…」という人気連載があります。倒産の危機、事業の頓挫など、さまざまな逆境に直面し、それを乗り越えてきた中小企業経営者に光を当てる内容です。

現在、「逆境!」は編集長の私が取材・執筆を担当しています。長らく同コーナーの記事を書いてきてしみじみ感じるのは、「逆境こそが経営者を鍛え、会社を強くする」ということです。
「逆境など、ないに越したことはない」と思うのも人情でしょう。しかし、ずっと順風満帆のままでやってきた企業や経営者には、どこか脆さがあるものなのです。

そのように思ってきたからこそ、今月(2023年4月)この本が刊行されたとき、すぐさま入手して一読したしだいです。

本書は、日本を代表する総合月刊誌『文藝春秋』に、2020年から22年にかけて連載された「ニッポンの社長」「ニッポンの一〇〇年企業」の新書化です。

コマツ、ミズノ(美津濃)、グンゼ、貝印、サイゼリヤ、大創産業、カインズ、ヨークベニマルなど、大企業を中心に計14社を取り上げ、経営トップらへの取材から各社の“歴史といま”を浮き彫りにしています。

元の連載タイトルが示すように、連載時には必ずしも逆境に的を絞る意図はなかったようです。それを一冊の新書としてまとめるにあたって、14の企業事例を貫く共通項として「逆境経営」という言葉が浮かんだのでしょう。

『理念と経営』の「逆境!」は、雑誌の性格上、原則として中小企業経営者が主人公となります。それに対し、本書は大企業・上場企業の事例が中心なので、いわば“大企業版の「逆境! その時、経営者は…」”として読むことも可能でしょう。
逆境とは、乗り越えたときに経営者や企業が飛躍できるジャンピングボードである――そのような方程式は、企業規模に関係なく成り立つのですから。

トップの人物像と会社の歩みを手際よく凝縮

著者の樽谷哲也(たるや・てつや)氏はベテラン・ノンフィクション作家で、企業取材や人物評伝、ルポルタージュなどを得意としています。綿密な取材と格調高い文章に定評があり、その力量は本書でも遺憾なく発揮されています。

樽谷氏らしい、文学的香気に満ちた文章の例を挙げてみましょう。

《父から子への事業承継を、互いに優れて共鳴し合う親子鷹にたとえることがある。美談で飾られる世代交代の物語など、実際の会社経営に、そう多いものではないのかもしれない。絞り出すような述懐を聞いていて、桎梏という二字が浮かんでならなかった。単なる手かせ足かせという字義以上に、蝕むように身を苛んだのが父の存在だったのであるとすれば、かくも血族の確執は底なしなのだと思わずにいられなかった》(岩下食品の章より)

また、1章につき1社が取り上げられていますが、けっして多くはない紙数の中に、経営トップの人となりと半生、そして会社としての歩みが、手際よく、バランスよく凝縮されています。これはベテランならではで、未熟な書き手にはこんなふうにはまとめられないでしょう。

十人十色の逆境から学ぶ経営の勘所

取り上げられた14社それぞれに、乗り越えてきた逆境がありました。
直近のコロナウイルス禍による危機、リーマンショックによる売上激減、経営者当人の大病、地震などの災害、業界全体の衰退……。

それらの逆境を、主人公たる各社のトップがどのように乗り越えてきたか? その物語こそが各章のクライマックスとなるのです。

たとえば、「カメラのキタムラ」として知られる株式会社キタムラの場合、デジカメの普及とその後のスマホの普及が、二段構えの巨大な逆境となりました。

《キタムラでも、カメラ本体の売上高は十分の一に激減する。フィルム販売でもDPEでも利益を上げるのが困難に陥り、壊滅的といっていい危機に瀕した。(中略)
「デジタルカメラにやられ、次はスマホに殺されかかって、うちはよう生きとると思いますわ。とにかく黒字が出なかったら誰も相手をしてくれんから、もがいてもがいて、死に物狂いで新しい付加価値、新しい粗利益を生み出そうと、考えられることは全部、懸命にやってきました」》

「ファウンダー(創業者)名誉会長」の北村正志氏がそう述懐するように、大幅に縮小したカメラ関連市場の《およそ30%をキタムラグループが占めている》状態を保つことで、同社は最大の逆境を乗り越えたのです。

《「業界全体がどんどん縮小していく中、うちは相対的占有率拡大で生き残っていると考えていただいたらいいと思います」》(北村名誉会長の言葉)

これはほんの一例。本書には14の事例を通して、“十人十色の逆境の乗り越え方”が詳述されています。それらのプロセスは、中小企業経営者にとっても大いに参考になるはずです。

登場する経営者たちの共通項は、逆境に屈することなく、歯を食いしばってそれを乗り越えてきた人たちだということです。

中には、株式会社サイゼリヤの創業者で会長の正垣泰彦氏のように、逆境に直面することをむしろ歓迎した事例もあります。

《「お客さんが来なくなったり、売り上げが落ちたりして、嫌なことがいっぱい起きるでしょう。そのときこそ、商品も働き方も改善しなきゃいけない。だから、困ったときこそ最高なわけ。ピンチはチャンスというでしょう。ピンチは、それまでの自分を変えるチャンスなんですよ。最悪のときこそ最高なの。他人は変えられなくても自分は変えられる。自分が変われば、見える世界がまるっきり違ってくる」》

サイゼリヤの章で正垣会長が著者に語るこの言葉は、読者に強い印象を与えます。帯に「ピンチをチャンスに変える!」との惹句が大書されているように、本書を貫くテーマを象徴する言葉と言えるでしょう。

経営者にとって、逆境こそチャンス――改めてそう感じさせ、読者を力強く鼓舞する一冊です。

樽谷哲也著/文春新書/2023年4月刊
文/前原政之

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