『理念と経営』WEB記事

“変革の知恵”は 「創業の原点」にあり

株式会社ファミリア代表取締役社長 岡崎忠彦 氏  ✕  神戸大学名誉教授 石井淳蔵 氏

「もう、われわれは単なるアパレル会社ではない」。子ども服ブランドの老舗として親しまれてきた株式会社ファミリアがいま、大変革を起こしている。陣頭指揮をとるのは5代目の岡崎忠彦社長だ。「脱アパレル」を宣言しさまざまな事業を手掛ける会社へと変貌を遂げてきた、その根っこを支える思いとは―。日本マーケティング研究の泰斗・石井淳蔵氏が切り込む。

子どもの「服を作る会社」から”可能性を創る会社“へ

石井 日本のアパレル業界は、いま大変な苦境にあります。「ZARA」や「ユニクロ」などのファストファッションの台頭から低価格競争の消耗戦になっているし、コロナ禍以降は人々の外出が激減したので服もあまり買わなくなりました。また、アパレルの中でも特に子ども服業界は、少子化の影響をもろに受けて市場がシュリンク(縮小)しています。

にもかかわらず、子ども服ブランドである御社は好調で、安売りにも走っていないし、新しい試みにも次々とチャレンジされている。それはすごいことだと私は思っていますが、岡崎社長ご自身は現状をどう分析されていますか?

岡崎 そもそも、僕が2011(平成23)年に社長になったときに「脱アパレル」を宣言しました。また、社長になって4年目、創業65周年の節目でもあった15(同27)年には、「子どもの可能性をクリエイトする」という企業理念を新たに掲げました。「子ども服の会社」という枠を破って、「子どもの可能性をクリエイトする」ためにいろんな事業を手掛ける会社になったのです。アパレル全体の苦境の中で、うちがわりと好調なのは、もう単なるアパレル業者ではないからだと思います。

ファミリアは元々、1950(昭和25)年に4人の「ママ友」が創業したベンチャー企業でした。創業者の1人が僕の祖母(坂野惇子氏)だったわけですが、当時のファミリアは、子ども服を売ることを通じて「欧米から学んだ合理的な育児法を人々に伝えたい」という、いまでいう「コンテンツ・ビジネス」の側面も持っていました。「服を売って儲けたい」ではなく、「すべては子どものために」という思いが原点だったのです。その意味では、僕がやってきたブランドのリビルド(再構築)は、創業の原点への回帰でもありました。

石井 じつは創業当時から、ファミリアは単なるアパレル業者ではなかったわけですね?

岡崎 ええ。4人の良家のお嬢さまたちが、自分たちが持っていた上質なセンスを子ども服として形にしていったら、広く受け入れられた……それがうちの会社の原型ですから。
ところが、バブル期の手前からうちの会社は肥大化して、売り上げは大きくなったものの、創業当時のよさがだんだん失われていきました。そして、バブル崩壊で売り上げも落ちて負債がかさんでいった。僕が入社したころには、売り上げも過去のレガシー(遺産)も、両方失ってしまった状況でした。

石井 当初はデザイナーとして入社されたそうですね。

岡崎 そうです。祖母からはなぜか「アンタにだけは継がさへん」とずっと言われていましたし(笑)、僕も継ぐ気はなくて、アメリカでずっとデザイナーとしてやっていくつもりでした。でも、売り上げが下がったこともあって、父(岡崎晴彦氏)から「デザインを立て直してくれ」と頼まれて、当初はデザイン部長として入社しました。その後、2008(平成20)年に会長だった父が急逝したため、僕が社長になったのです。

当時、社員たちから見たら不安しかなかったと思います。社長のボンボンでアメリカかぶれのアーティストという、話が全然通じなさそうな奴がいきなり社長になったのですから(笑)。

石井 社長に就任されてすぐ、オフィスを変えることから改革を始めたとか。

岡崎 はい。当時のうちのオフィスは雑然として汚かったんですよ。ゴミ箱を椅子がわりにして座って話をしていたり、セールをするときには会場にブルーシートを敷いて洋服を並べていたりしました。

いいものを売っているブランドなのに、社員の美意識も低く、商品に対するプライドもなかった。まずそこから変えないといけないと思って、テーブルや椅子も全部いいものを揃えました。たとえば、椅子はスイス製で1脚17万円くらいするものに変えました。けっしてお金があったわけじゃないんですが、お金のかけ方を変えたんです。

石井 たしかに、このオフィスを見ても隅々までセンスがいいですね。

岡崎 ここに移ってきたのは16(平成28)年のことです。本社を自社ビルからオフィスビルの2フロアーに移転しました。広さは30分の1くらいになりましたが、社長室もなくして、全体をオープンでフラットな空間にしました。オフィスの本棚に並んでいる美術書・建築書・写真集などは、僕自身がデザイナーとして影響を受けたものばかりです。

家具も壁のポスターも、ミッドセンチュリー(20世紀中盤のデザイン)スタイルのオリジナル品で揃えています。つまり、ファミリア創業当時に生まれたデザインですが、それがいまでも新しい。「こういう、70年経っても古びないものをみんなで作っていこう」という社員たちへのメッセージが、このオフィスに込められているのです。

家族経営ならぬ”海賊経営“を目指せ!

石井 「脱アパレル」という言葉に込めた思いを、もう少しくわしく伺えればと思います。

岡崎 僕が「脱アパレル」を宣言したとき、いろんな人から苦情や問い合わせが殺到しましてね。「洋服を売るのをやめるのか?」とか。「いや、そういうことではないんですよ」と、真意を丁寧に説明し理解を求めました。

「脱アパレル」と言ったのは、既存のアパレル業界の考え方が嫌いだったからです。それは、「いま流行っているものを、SPA(製造小売)でなるべく速く・安く・効率よく作って儲ける」という考え方です。僕は、ファミリアでそれをやりたくないんです。「流行っているから」ではなく、その年のテーマもみんなで決めて、ゼロから作りたい。なので、既存のアパレルと同じくカテゴライズされるのが嫌だったので、あえて「脱アパレル」と言ったわけです。

石井 そういうやり方が主流になってきたのは、2000年代初頭くらいからですね。「クイックレスポンス」といって、最速一週間で企画から店頭に並べるまでが完結してしまうやり方です。たとえば、土日で売れた商品を、「いまはこんな袖が売れる」「こんな色が流行っている」と月曜日の会議で見極めて、それに似た商品を次の金曜までに出荷してしまうのです。

私はそれを知ったとき、「これは完璧な手法だ。もうマーケティングがいらなくなる」と驚嘆しました。ところが、20年経ったいま、クイックレスポンスに頼った会社ほど苦境に陥っています。

岡崎 それはなぜかと言えば、人間って飽きっぽいし、みんなと同じものは着たくないからだと思います。流行りを分析して画一的に服を作るやり方は、一時期は流行ってもやがて飽きられる。僕はクリエイターなので、元々そういうやり方は嫌いなんです。ものを作る面白みがない。それよりは「ニッチでリッチ」な洋服を作りたいのです。

石井 ZARAやユニクロに象徴されるようなやり方とは別の道を歩むという思いが、「脱アパレル」という言葉に込められているのですね。

岡崎 ええ。うちはファミリービジネスではありますが、家族経営ならぬ〝海賊経営〟を目指しています(笑)。

石井 「い」の一字が入るだけでイメージが一変しますね。その心は?

岡崎 一つは、「海賊が命がけであるように、経営者が腹を括らないといけない」という思いを込めました。そしてもう一つは、「みんなが採用しているファストファッションのモデルはレッドオーシャンになってしまうので、そんな怖い海には行かないよ。うちは海賊みたいにニッチを狙う」ということです。海賊経営という造語は気に入っていて、会社の宣伝映像に(海賊が主人公の)『パイレーツ・オブ・カリビアン』のイメージを用いたりしています。

「モノ(単一)ブランド」化に踏み切った狙いとは

石井 「ニッチでリッチ」という言葉はファミリアらしいですが、考えてみれば、エルメスやルイ・ヴィトンなどのハイブランド(ラグジュアリーブランド)は、みんな「ニッチでリッチ」であることを志向していますね。

構成 本誌編集長 前原政之
撮影 中村ノブオ


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 5月号「巻頭対談」から抜粋したものです。

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