『理念と経営』WEB記事
企業事例研究1
2023年 5月号
時代の変化には、挑戦で対抗する

ニッコー株式会社 代表取締役社長 三谷明子 氏
優れた洋食器メーカーとして、数々のヒット商品を世に送り出してきたニッコー(石川県白山市)。赤字続きの時代に事業を承継した現社長の三谷さんは、社員たちへ“挑戦”の精神を訴えて創造性を刺激し、会社の再興につながるユニークな施策を数多く生み出している。
衰退期を果敢に立て直した父の背中
ニッコーは日本を代表する洋食器メーカーの一つである。
創業は1908(明治41)年。金沢に本社を置き、「日本硬質陶器」として出発した。国内に洋食器を広めると同時に、輸出での外貨の獲得を目的とし、出資者には旧藩主の前田家や地元の資産家たちが名を連ねたという。
やがて韓国・釜山に本社と大工場を建設し、アジア一の生産量を誇った。だが敗戦により、資産はすべて接収され、戦後は再びゼロからの出発となった。
経営はなかなか軌道に乗らず、1957(昭和32)年、窯の燃料の石炭を供給していた三谷産業の三谷進三氏が請われて社長になった。進三氏は、陶磁器事業の黒字転換に成功。事業安定後、新規事業を起こした。こうして、ニッコーは第二創業期を迎えることになったのだった。
――進三さんは発想豊かなアイデアマンだったようですね。
三谷 はい。進三は私の夫の父、つまり義父にあたるのですが、経営者として先を読む力がありました。社長になってすぐの61(同36)年に樹脂のバスタブの製造を手掛けたのです。高度経済成長期が始まった時期でした。
――家風呂が増えた頃ですね。
三谷 都市公団の団地にお風呂がつくようになったタイミングで、東京ガスの指定まで取ったそうです。三谷産業は樹脂の原料も扱っていたので、バスタブ製造にはある意味でのシナジー効果もあったように思います。
――やがて家庭用の浄化槽もおつくりになります。
三谷 樹脂の加工成形の技術としては同じですから、浄化槽にもつながっていったのだと思います。
陶磁器についても、義父は海外への販路をアメリカに求めました。社長になってすぐアメリカに出張に行ったのです。
――1ドル360円の頃ですか。
三谷 その時代です。1カ月くらいかけて各地を回ってバイヤーさんとも会い、デパートなどの視察もしてきたようです。アメリカに販売会社をつくることになり、現地の会社との技術提携もできて、販路を大きく伸ばしたといいます。
義父にとっては、アメリカの文化やビジネスのやり方を学んできたことは、日本でビジネスを行う上でも大きかったようです。たとえば、冬は天気が悪い北陸では室内の娯楽は歓迎されるのではないかと考え、いち早くボーリング場をつくったりもしました。
世の中の変化にどう対応していくのかを常に考えて、新たな挑戦をしていくことを身をもって教えてくれた経営の大先輩だと思っています。
「黒字にするぞ」と社員が本気になった
1978(同53)年、他社との差別化を図るため、通常は30%のボーンアッシュ(牛の骨)の含有量を約50%まで高めた世界一白い「ファインボーンチャイナ」の生産を開始した。料理が映えるとホテルや飲食店のシェフに評判になり、同社の看板商品となった。
83(同58)年には社名をニッコー株式会社に変更し、同じ年、電子セラミック事業にも参入した。こうしてニッコーは陶磁器、生活環境機器、電子セラミックの3事業部体制になったのである。
しかし、徐々に陶磁器業界の縮小が始まり、会社の業績も低迷するようになった。三谷さんが社長に就いた2016(平成28)年には、すでに赤字が続いていたという。
――社長になられた経緯は?
三谷 私は、義父が設立した、北陸出身の学生たちに奨学金を給費する「三谷育英会」という財団の理事長をしていました。原資は三谷産業・ニッコー両社の株式の配当です。「ニッコーにもしっかりと利益を出してもらわないといけない」と思って経営に意見を出すうちに、社外役員になり、常勤の役員になったのです。
素人ながら、役員会でも疑問に思ったことは遠慮なく何でも聞いていました。その頃、ニッコーは赤字続きだったので、「こんな会社の経営を受けてくれる方は他にいない」と、私が社長に指名されました。そこで覚悟を決めるしかなくなったのです。
――最初にやられたことは?
三谷 いまの経営理念の3つの言葉「挑戦、信頼、知恵」を選びました。ニッコーの歴史を考えると、やはり新しいことに挑戦して変化してきた会社です。そこは忘れたくない。社員さんたちに「どんどん挑戦しようよ」ということを改めて訴えたかったのです。
もう一つ、いい商品がいっぱいあるのにPRや広報ができていないとも思っていました。そこで、直属の部隊をつくりました。戦略本部という、雑誌とのタイアップ、SNSの発信など、ブランディング戦略やマーケティングを行う部署です。
――1年ほどで業績は黒字に変わったと伺っています。
三谷 はい。次の年には陶磁器事業部以外は黒字になりました。
――何をされたのですか?
三谷 住設環境事業部ですと…
ニッコーの看板商品「ファインボーンチャイナ」。研究を重ねた末に生み出した“世界一ともいわれる純白”は同社の誇りであり、発売当時から根強いファンがいる(写真提供 ニッコー株式会社)
取材・文 中之町 新
撮影 松村昌治
本記事は、月刊『理念と経営』2023年 5月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。
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