『理念と経営』WEB記事

わさびの魅力を追求し新しい価値を生み出す!

株式会社田丸屋本店 代表取締役社長 望月啓行 氏

わさび漬といえば、かまぼこに添えたり、白いご飯に合わせたりというのが一般的なイメージだ。しかし、わさび栽培の発祥地・静岡に拠点を置く田丸屋本店は、近年新しい「わさび関連商品」を次々に生み出している。その根底には、地場の地域資源を使って商売をさせてもらっているという感謝の念がある。

旅行者が全国に広めた静岡の名産品

田丸屋本店(静岡市葵区)は、わさびを使った「わさび漬」を製造販売している。「わさび漬」は刻んだわさびの根や茎を酒粕に漬けた粕漬の一種だ。江戸時代の宝暦年間(1751~1763)に静岡でつくられるようになった。

田丸屋本店の創業は1875(明治8)年。150年近い歴史を持ち、望月啓行社長は5代目社長になる。初代は佃煮や漬物の製造販売を始め、400年以上の歴史を持つ、わさび栽培発祥の地という地の利を生かして「わさび漬」づくりに至った。

田丸屋本店にとっての大きな転機は1889(同22)年、東海道本線が開通したときに静岡駅での「わさび漬」販売権を得たことだった。旅行者にお土産として買われるようになり、静岡の名産品として全国に広まった。白米のご飯に添えておいしく、かつ、保存もきくことから、たちまち主力商品になった。

しかし1991(平成3)年をピークに売れ行きは下降に転じる。食事の洋風化が主な要因だった。望月社長は味の素に勤務し、営業部門でリーダーの在り方などを学んだのち、95(同7)年に田丸屋本店に入社した。そのときはすでに会社の業績は下降の一途をたどっていた。

望月社長がとらえた問題点は旅行客への依存度の高さだった。主要観光地や駅の売店などで旅行客は名産品の「わさび漬」を買い込んでいたのだが、団体旅行は下火になり、旅行客がこぞってお土産を購入する時代ではなくなりつつあったのだ。

売り上げのおよそ6割を占めるお土産需要が経営に安定をもたらし、高度成長期やバブル期はまさしく「つくれば売れる」状態だったため、社員たちの問題意識は希薄で、新商品開発など新しいことに取り組もうとする姿勢も欠如していた。

「このままでは将来がない」といくら言っても聞き入れてもらえない。そこで望月社長は経営データの開示に踏みきった。会社の置かれている状況を数字で知ってもらおうというねらいだ。

「経営者一族だけがデータを握っていて、社員は経営に首を突っ込まなくてよいというファミリー企業にありがちな体質だったのですが、新しいことに取り組むには、かけ声だけでなく、データによって社員たちが会社の現状を正しく理解し、対応の必要性を実感することが不可欠だと思ったのです」

“脇役”だからこそ無限の可能性がある

2007(同19)年に社長に就任した望月社長は、地元住民に「わさび漬」など、わさび商品を食べてもらえるようにしようと誓った。

「商品が地元のお客様に愛され、そして広まっていく。そういう商売の原点に立ち返ろうと思ったのです」

お土産用の包装は普段使いには過剰だから、地元の人向けには簡易包装の商品が必要だろう。直営店は駅やデパートの土産店とは異なる、わさび商品の専門店にしていこう。

こうした目標を念頭に置いて、わさびとの距離を縮めてもらえるように「わさび漬」づくりの体験教室や工場見学への参加を促し、わさび料理を体験してもらえるレストランを静岡駅前にオープンするとともに、新商品開発に乗り出した。

「わさびは料理の主役にはなれません。あくまでも主役を引き立てる脇役。それだけに商品開発の幅は広く、可能性は無限です。さまざまなかたちで主役を引き立てる役割を探っています」

取材・文 中山秀樹
撮影 編集部


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 4月号「企業事例研究2」から抜粋したものです。

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