『理念と経営』WEB記事
人とこの世界
2023年 4月号
一人の“人”と向き合い、社会の一隅を照らす

元保護司 中澤照子 氏
昨年公開の映画『前科者』によって、「保護司」が注目を集めている。保護司は、罪を犯した人たちの更生を支援する法務大臣から委嘱を受けた非常勤の国家公務員だ。その世界で伝説的な存在である中澤照子さんは、退任後も元対象者に寄り添い続けている。中澤さんの温もりに触れる――。
中澤照子さんは、20代のころ縁あって芸能事務所(古賀政男事務所)に就職し、歌手・小林幸子さんの初代マネージャーを務めた。結婚を機に退職し、その後は長い間専業主婦として生きてきた。
その中澤さんが、知人から「保護司になりませんか?」と誘われたのは、1998(平成10)年、57歳のときのこと。
「当時、私は保護司という言葉すら知りませんでした。でも、説明を聞いて『それならできそうだ』と思ったんです。ずっと同じようなことをしてきたから……」
犯罪や非行をした人の更生保護を担う保護司は、対象者に寄り添い、「保護観察」(2週間に1度の面談など)や「生活環境調整」(社会復帰のための態勢を整える)などを行う。無給のボランティアであり、社会貢献の強い意志がなければ持続は難しい。彼女にその適性があると、知人は見抜いたのだ。
中澤さんのご両親も、「人のために尽くす」ことをごく自然に生活の中で身につけていた人たちだった。
「母から私がいつも言われていたことは、『人には親切にしなさい。でも、見返りを求めちゃいけないよ。親切は自分がしたくてするんだから』ということでした。私はその言いつけを守って、子どものころから、いじめられっ子がいたら守ったり、体の不自由な子がいたら寄り添って歩くなど、そのようなことはあたりまえと思っていました」
結婚後も、近所のネグレクトされた子どもを家に呼んで食事をともにしたり、街にたむろする不良少年たちに声がけをすることは、日常茶飯事だった。まさに、保護司になる前から「同じようなことをしてきた」のだ。
そして、地元の東京・江東区で、保護司を20年間務めた。
退任した2018(同30)年には、保護司としての長年の功労が認められ、藍綬褒章を受章。そのとき、「天皇陛下の前に出られるような服は持っていないから(笑)」と授与式出席を渋る中澤さんに、ずっと親交のある小林幸子さんが、母の形見の美しい着物を貸してくれた。
カフェ内に飾られた、小林幸子さん(写真左)とのツーショット。当時、10歳で上京した小林さんと新米マネージャーだった中澤さんは、姉妹のようにすぐに仲良くなったという
「ありがとう」が、更生の力になる
中澤さんの名を広く知らしめたのが、保護対象者にふるまい続けてきた「更生カレー」だ。保護司として関わった対象者の、約7割は非行少年・少女であった。月2~3回自宅で行う面談の際、彼らの心を開くためにふるまったのが、家庭のカレーだったのだ。
「非行に走る子は家庭崩壊しているケースもよくあって、家でロクに食べさせてもらっていない子も多いんですよ。それで、おふくろの味でお腹いっぱいにさせてあげたいと思って、カレーを出し始めたんです」
地域の不良少年たちの間で、そのカレーの評判が口コミで広まっていった。「保護司の家でカレー食わせてもらったら、スゲーうまくてよ」というふうに……。
何年か続けるうち、誰かが「中澤さんのカレーは『更生カレー』だ」と言い出し、それがいつしか定着した。
その後、「仲間うちで『中澤さんのカレーが食べたい』って奴がいるんですけど、今度連れて行ってもいいですか?」などというリクエストに応じるうち、カレーの輪が広がっていった。時には、近くの公園に大勢を集めて「カレーの会」を開くようにもなった。
「ただカレーを食べるだけじゃつまらないから、集まった子たちにビニール袋を持たせてね、『みんなで、このビニール袋に公園のゴミ拾ってきなさい。戻ってくるころにはカレーができてるから』と言って、清掃ボランティアへとつなげたの。それがきっかけで、雪が降ったら雪かきをしたり、地元の夏祭りの設営を手伝ったり、『カレーの会』と地域貢献がワンセットになっていったんです」
不良少年たちは、地域の大人に後ろ指をさされることはあっても、喜ばれたことなどなかった。カレーを食べたい一心で取り組んだボランティアで大人たちから感謝され、大いに感動していたという。誰かが心から言う「ありがとう」が、更生の力になることもあるのだ。
保護司を定年で退任してからは、面談でカレーをふるまう機会もなくなり、コロナ禍で地域での「カレーの会」も開けなくなった。それでも、中澤さんが退任後に地元にオープンした小さな喫茶店「Café LaLaLa」の裏メニューとして、「更生カレー」は生き続けている。
「Café LaLaLa」は、元保護対象者など、中澤さんを母のように慕う人たちが集う「居場所」として作ったものだ(もちろん、地域の人たちの憩いの場でもある)。
「保護司の中には、保護観察期間を終えた対象者とは極力会わないようにしていた方もいました。そうしたほうが相手のためだと思うからで、それも一つの見識です。でも、私はそういうタイプではありません。保護司として出会った相手のその後を、ずっと見守っていきたいんです」
長く付き合いの続いている元対象者は多い。彼らは、私生活でよいことがあったら報告をしてくるし、悩みがあれば中澤さんに相談を持ちかける。「元保護司と元対象者」という枠を越え、“大きな家族”のようなつながりが、中澤さんを中心に生まれているのだ。
「更生カレー」は現在、多くの出会いの中でつながった人たちとクラウドファンディングを立ち上げ支援者を募り、レトルト商品にもなっている
取材・文 前原政之
撮影 鷹野晃
本記事は、月刊『理念と経営』2023年 4月号「人とこの世界」から抜粋したものです。
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