『理念と経営』WEB記事

第50回/『感動経営』

JR九州を立て直した名経営者の歩み

当連載は原則として新刊・近刊を取り上げていますが、今回の『感動経営』は2018年刊で、5年前の本になります。それをあえて取り上げるのは、著者の唐池恒二さん(JR九州相談役)がいま脚光を浴びているからです。

『日本経済新聞』で半世紀以上続く名物連載「私の履歴書」は、政治・経済・文化・スポーツなどの領域で大きな業績を残した人物が、自らの半生を語る内容です。
毎月1ヶ月間にわたって1人が主役となりますが、今月(2023年3月)の主役がまさに唐池さんなのです。

唐池さんは、赤字が続いていたJR九州(正式名称は「九州旅客鉄道株式会社」)を、見事に立て直した名経営者として知られています。

JR九州はいまでこそ、40以上のグループ会社を傘下に収め、鉄道事業のみならず、旅行業・小売業・不動産業・農業などを多角的に展開する、堂々たる上場企業です。しかし、国鉄分割民営化(1987年)後は、300億円という巨額赤字を抱え、どん底から出発したのでした。

民営化当時、JR九州は、JR北海道、JR四国とともに「三島(さんとう)JR」と呼ばれていました。
本州のJR3社(東日本・東海・西日本)が山手線や新幹線などの目玉を持って順風満帆であったのに対し、他の3社は赤字路線を多く抱え、それぞれ危機的状況にあったのです。「三島JR」とは、3社を本州から切り離された「島」になぞらえ、一段低く見る表現でした。

そうした逆境のなか、民営化とともにJR九州に入社した唐池さんは、卓越した企画力とリーダーシップで頭角を現していきました。

まず、人気温泉地・由布院の魅力を凝縮した「ゆふいんの森」など、11種類の「D&S(デザイン&ストーリー)列車」(特別なデザインと、沿線地域にまつわる物語で魅せる列車)を企画し、次々と大ヒットさせました。列車を、単なる移動手段から観光資源へと昇華させたのです。

また、博多と韓国・釜山間を結ぶ高速船「ビートル」の就航にも尽力。さらに、大幅な赤字を計上していた外食事業も黒字に転換させました。

その後、2009年から14年6月までのJR九州社長時代には、豪華観光寝台列車「ななつ星 in 九州」を立ち上げ、大ヒット。
また、14年6月から22年までは同社会長を務め、16年には悲願だった上場も成し遂げています。

2017年度の数字で、JR九州は約500億円の黒字を叩き出しました。赤字300億円から黒字500億円へ――。その大躍進の立役者こそ、唐池さんだったのです。

日経の「私の履歴書」は、生い立ちや京都大学柔道部時代の思い出など、唐池さんの半生が詳しく綴られています。それに対し、本書はJR九州の社長・会長時代の歩みに的が絞られていますから、「私の履歴書」を読んだ人にとっても十分読み応えがあるでしょう。

なお、唐池さんは『理念と経営』に何度もご登場いただいています。
本書巻末の「協力」欄には、「月刊『理念と経営』編集部」の名も挙げられています。それは、本書に紹介された唐池さんと蒲島郁夫熊本県知事の親交が、お2人の巻頭対談(『理念と経営』2018年9月号)を踏まえた内容であるためです。

よき経営の根底には「感動」がある

唐池さんといえば、誰もが思い浮かべるのは、九州各地を巡る豪華寝台列車「ななつ星」を大成功させたことでしょう。
本書でも、「ななつ星」については《私の仕事の集大成》と表現され、その舞台裏がたっぷりと語られています。

ただし、それは本書の幅広い内容の、ほんの一端。唐池流経営の要諦が、印象的で多彩なエピソードを通じて綴られているのです。
なぜ、唐池さんはJR九州を大躍進させることができたのか? その秘密が、本書に綴られた「49の心得」の中に明かされています。

唐池さんは「はじめに」で、「感動のない仕事は仕事ではない」と言い切り、次のように記しています。

《経営は、ひとに感動を与えるためにある。
経営は、感動することからはじまるのだ》

この言葉はいわば全編の通奏低音であり、本書のテーマといってよいでしょう。だからこそ、タイトルが『感動経営』なのです。

口で言うのは簡単ですが、顧客や社員、取引先を「感動」させる経営とは、並大抵のことではないでしょう。感動の手前にある「満足」だけでも、十分にハードルが高いのですから。

では、経営者がどのような心構えで臨めば「感動経営」ができるのか? そのポイントが、本書を読めばわかります。
たとえば、こんな一節――。

《自分で感動できない人間は、ひとを感動させられない。
仕事ができるひとは、感動できるひとだ。》

この一節は、ソクラテスが「シビレエイ」について言った名高い言葉を踏まえたものでしょう。
「もしそのシビレエイが、自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせるというものなら、いかにもぼくはシビレエイに似ているだろう」(プラトン『メノン』岩波文庫)
――ソクラテスの並外れた「感化力」を、メノンがシビレエイに喩えたことに対する言葉です。ここには、優れたリーダーの持つ感化力の本質が語られています。

経営者もまた、自らが感動するからこそ、社員や顧客を感動させることができるのです。本書には、そのことがさまざまなエピソードを通じて“立証”されています。
よき経営の根底には、「感動」があるのです。

秀逸なリーダー論・組織論でもある

本書は唐池さんが経営者としての歩みを振り返った書ですが、同時に、秀逸で明快なリーダー論・組織論でもあります。会社を活性化し、社員一人ひとりにいきいきと能力を発揮させるために、トップはどうあるべきか? その要諦がさまざまな角度から綴られているのです。

しかも、机上の空論やわかりにくい観念論は一つもなく、トップの心得が具体的なエピソードに裏打ちされて語られています。

一例を挙げましょう。
「トップは決断しにくいときに決断する」という項目では、九州新幹線開業という節目を巡るエピソードが綴られています。

九州新幹線全線開通を翌日に控えた2011年3月11日、あの東日本大震災が起きます。
翌日に予定されていた祝賀式典は、《3年以上前から膨大な時間とコスト、人手をかけて準備を進めていた》ものでした。

唐池さんは、東日本大震災の発災直後、翌日の式典・イベントをすべて中止することを即座に決断しました。この大震災はまぎれもない国難であり、祝賀式典などしている場合ではないとの判断でした。

そのとき、《役員のなかには、中止という方針に難色を示す向きもあった》そうです。九州は直接の震災被害を受けませんでしたから、そのまま式典を強行することもできたでしょう。そのほうが、かかったコスト等を無駄にしないで済むからです。唐池さんはその反対を押し切って中止に踏み切ったのでした。

もしも中止していなかったら、日本中が悲しみと不安に包まれるなか、祝賀式典は世の顰蹙を買い、大炎上したに違いありません。唐池さんの迅速果敢な決断は、JR九州を救う大英断だったのです。

以上はほんの一例で、ほかにも、中小企業経営者にとっても手本となる心構えが随所に綴られています。第一級の経営書です。

唐池恒二著/ダイヤモンド社/ 2018年9月刊
文/前原政之

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