『理念と経営』WEB記事

「顧客第一主義」を貫く先に 進むべき道が拓ける

株式会社松屋 取締役会長 秋田正紀 氏  ✕  東京大学名誉教授 伊藤元重 氏

EC(電子商取引)や専門店にはない価値を、いかにして提供していくか―。縮小が止まらない百貨店業界に突き付けられてきた課題である。その難問に向き合い、時代の激変に見事に対応しながら「松屋銀座」を牽引してきた秋田正紀会長が、16年におよぶ社長業を通じて培ってきた経営の大原則とは。経済産業省の「百貨店研究会」で座長を務めた伊藤元重教授が解き明かす。

「目先の効率化」よりもっと大切なことがある

秋田 私は1991(平成3)年の秋に松屋に入社しました。まさにバブル経済が崩壊したころであり、百貨店業界もそこから厳しい時代に入っていったわけです。その意味では、百貨店のいちばんよい時代を私は経験していません。いま振り返れば、そのことは自分にとってむしろよかったと思っています。

伊藤 入社以来ずっと厳しい時代だったからこそ、社長になってからの難しい舵取りが冷静にできたということでしょうか?

秋田 そうです。その厳しさのなかで私は多くのことを学びました。たとえば、銀座本店は2000年代初頭に大規模な改装を行ったのですが、そのときのことです。

当時、私は社長になる前で、取締役の 1 人として改装に臨みました。その際、最初は目先の効率性ばかり考えてしまっていたのですね。というのも、国内のアパレル関係者などと話すと、決まって坪効率(売場面積 1 坪当たりの 1 日の売り上げ)の話になりましたから。新宿や池袋などのターミナル駅に近い「鉄道型百貨店」と比べ、銀座の百貨店は坪効率で負けていたからです。

ところが、そのころある世界的ブランドの本国トップと話したとき、彼らは坪効率の話なんて一切しないんです。「銀座という素晴らしいロケーションを、最大限に生かすブランディングを考えるべきだ」と熱弁されまして……。そのことで、「目先の効率性などより、長い目で見てブランド価値を高めることが大切だ」と、改めて教えられました。

伊藤 その「気づき」が、社長になられてからの経営戦略にも影響を与えたのですね。

秋田 はい。「われわれの最大の財産は銀座というロケーションだ。銀座にふさわしい百貨店を目指そう」と考えました。2007(同19)年に社長になった当時、百貨店業界は大手再編の波の渦中にあり、私はマスコミから「松屋さんはどこと統合するんですか?」とよく聞かれました。でも、そのとき「うちはどことも一緒になりません。自主独立路線を歩みます」と宣言しました。

なぜかというと、大手と統合したら平準化されて、よそと似たような百貨店になってしまうと考えたからです。それより、銀座にふさわしい店、また浅草にふさわしい店を目指そうとしたのです。

「スーツ 1 万円論争」が知らしめた”百貨店の真価“

伊藤 1995(同7)年が円高のピークだったのですが、そのことを背景に流通業では価格破壊が進みました。いまおっしゃった坪効率とか、売り上げに対するコスト最小化などにばかり目が向けられていったのです。百貨店もその波にのまれていったなかで、松屋さんは流れに抗して、ブランド価値を高める方向に舵を切ったわけですね。

いまは逆に円安になって、海外から安く輸入できる時代ではないので、「いかに付加価値を付けて高く売るか?」を考えないと生き残れなくなりました。その意味では、松屋さんの選んだ方向にやっと時代が追いついてきたとも言えます。

秋田 おっしゃるように、銀座でさえ「安売りの街」というレッテルを貼られかねない時代がありました。象徴的なのは、90年代後半からスーツ量販店が銀座に進出してきたことです。当時、「スーツ 1 万円論争」というのがありました。「 1 万円のスーツを量販店が売っている一方で、なぜ百貨店のスーツは数万円もするのか? そこに違いはあるのか?」という論争でした。

伊藤 テレビ番組で、安売りのスーツと百貨店のスーツを分解して、比較検証してみたりしていましたね。でも、結果的にはあの動きが、百貨店のスーツの価値を改めて知らしめるきっかけになったと思います。

秋田 そうですね。安売りのスーツとは工程数も違うし、差は明確にあるんです。ただ、百貨店側がその違いを説明してこなかったという問題もあります。

伊藤 説明しなくてもよかったという面もありますね。昔は、百貨店の価値は説明不要でした。昭和期まで、普段の買い物は近所の商店街や個人商店で済ませて、ここぞという「ハレ」の買い物は百貨店でするものでしたから。昔の日本の小売業は、「百貨店とその他大勢」という構図だったのです。

ところが、平成以降、百貨店が果たしていたたくさんの役割が、他業種のカテゴリー・キラーによって一つずつ引き剥がされていきました。スーパーが食品を奪い、大型家電量販店が家電を、ユニクロなどのアパレルが服をというふうに……。

百貨店に出かけなくても用が済むようになってきた。そういうものが全部剥がされたいま、百貨店としてどうやって生き残るのか? 安さではない価値を、いかにして提供していくかが問われているのだと思います。

秋田 いま先生がおっしゃった、「百貨店としてどうやって生き残るのか?」ということについて言えば、カテゴリー・キラーとの戦いと並行して、他の百貨店といかに差別化するかという戦いもありました。

2000年代初頭の大改装に際して、私は郊外にある百貨店にもよく視察に行きました。そのときショックだったのは、当時の松屋銀座で揃えているブランドと、郊外の百貨店のブランドがあまり変わらなかったことです。「これでは銀座まで足を運んでいただけないな。地元の百貨店で用が済んでしまうのだから」と、強い危機感を覚えました。

そこから差別化戦略を推進して、たとえば、同じブランドでも郊外百貨店とは品揃えを変えてもらうようにしました。あとは、大手アパレルと組んで、うちだけにしかないオリジナル商品を作ってもらったり……。

一方で、松屋の店舗そのものを、これまで以上にワクワク感のある場所に変えていこうということで、2019(令和元)年に創業150周年を迎えるに当たって、「デザインの松屋」ということを改めて標榜しました。そのために、グラフィックデザイナーの佐藤卓さんにクリエイティブ・ディレクターになっていただいてあらゆる面でデザインを見直したのです。

伊藤 街の魅力というのは、安さや効率性だけでは語れないものですね。優れたデザインに象徴されるような、目に見えないバリュー(価値)も重要です。

秋田 ええ。それと、百貨店が 1店舗でできることはたかが知れているので、店舗間で争うより、みんなで力を合わせて街の魅力づくりを推進していくことも重要になってきたと感じます。それを痛感したのが東日本大震災のときでした。震災で火が消えたようになったとき、街を活性化させたいということで、三越さんとうちと合同イベントをやったり、銀座通りを使ってファッションショーをやったりしたんです。

街の魅力を高めていくことが、結果として各店の繁栄にもつながるんですね。

伊藤 松屋さんと三越さんは競争相手でもありますが、同じ銀座の街で連携して共に輝くことによって、両方にメリットがあるわけですね。

常に一歩でも、半歩でも、前へ前へと進化せよ

伊藤 昔、伊勢丹の店長と話をしていたときに聞いた話ですが、当時、伊勢丹では月ごとにイメージカラーを決めていたそうです。たとえば、マネキンに着せる服などもそのカラーに合わせたりして、統一感を演出していく。人間は見た目の変化の 8 割を色から感じるそうで、基調の色が変わると「何だか変わったな」と思う。そうすると、毎月来店するお客様にも新鮮な印象を与えられるというのです。松屋さんでもそういう工夫はありますか?

構成 本誌編集長 前原政之
撮影 中村ノブオ


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 4月号「巻頭対談」から抜粋したものです。

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