『理念と経営』WEB記事
人とこの世界
2023年 3月号
悲しみを受容することで、人は一歩を踏み出せる

ガーデンデザイナー 佐々木 格 氏
3・11は、一瞬にして多くの命を奪った。遺された人と亡くなった人の「想いをつなぐ」場所として、佐々木さんは「風の電話」を設置した。佐々木さんは「亡き人であってもつながることができるという想いが人に夢や希望を与え、悲しみを抱えながらも『再び生きる』という気持ちにさせる」と語る。
愛する家族や心を許せる友人、お世話になった知人……。そんな近しい人たちが亡くなったとしても、死者といつでもつながれ、話ができるとしたら、どれだけ生きる力になることだろう――。
それができる場所が岩手県大槌町にある。三陸海岸の名勝の一つ浪板海岸を望む鯨山の中腹、佐々木格さんの広い庭の一画に置かれている「風の電話」である。緑のとんがり屋根と白い格子の電話ボックスの中にはダイヤル式の黒電話がある。だが、その電話線はつながっていない。
「だからこそ、どこへでもつながることができるんです」
自分の想像力で、自分の想いを風に乗せて語りかけ、聞こえるはずのない声を聞き取る。それが「風の電話」なのである。
東日本大震災のひと月後に設置して以来、「風の電話」を利用した人は 5 万人を超える。その誰もが何らかのグリーフ(悲嘆)を抱えている人たちである。
「ダイヤルがいいんです。ダイヤルを回して元に戻るまでが、さらに自分を見つめる時間になる。そういう“間”が大切なんです」
話したい人の電話番号を回す間に、もう一度、自分の中にある悲しみと向き合い、受話器に向かうのだ。佐々木さんは、言う。
「『風の電話』は深い悲しみの中にある方々が自分の心との対話によって混乱している思考を整理し、本来持っている自分の生命力を取り戻すため、自分が主体的に行動することを促している『場』である」と。
言葉は通じなくても心で会話することはできる
佐々木さんは1945(昭和20)年2月に、岩手県釜石市で生まれた。敗戦の半年前のことである。「だから私は戦中派です」と笑った。
新日鉄釜石製鉄所に勤め、51歳で早期退職した。請われて、ある会社で3年働き、99(平成11)年、54歳のときに鯨山に移り住んだ。
前々から一つの夢があったという。“自分の田舎をつくる”ことだ。
「子どもの頃、盛岡の少し手前の紫波町にある父親の実家によく連れて行かれました。畑では野菜が採れるし、木には果物が実っている。田舎はすごいと思いました。いつか自分の田舎をつくりたいと思うようになったんです」
海が望める土地をいろいろ見て回り鯨山のロケーションが気に入った。佐々木さんは“自分の田舎”に「ベルガーディア鯨山」と名をつけた。
夫人が仕事に出かけた後、一人で庭仕事に精を出してきた。土を掘り、木や野菜を植えていると、小動物たちがやってくる。いつしか彼らに声をかけ、エサをやるようになった。そのうちにカモやキジが頭をなでても逃げなくなった。
「毎日話しかけるうちに、こいつは安心できるなと感じたのだと思います。言葉は通じなくても心で会話することはできるんです」
自然と向き合い、自然と共に暮らすなかで、何が大事で大切なことなのか多面的に物事の現象を見つめる感性が磨かれてきた、と話す。こうした経験が「風の電話」の発想の原点になった。
季節ごとに色とりどりの草花が咲く「ベルガーディア鯨山」
取材・文 鳥飼新市
撮影 池上勇人
本記事は、月刊『理念と経営』2023年 3月号「人とこの世界」から抜粋したものです。
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