『理念と経営』WEB記事
企業事例研究1
2023年 3月号
価値観の共有で働きがいのある会社へ

株式会社バーテック 代表取締役社長 末松 仁彦 氏
工業用ブラシを手がけるバーテックは昨年、日本における「働きがいのある会社」ランキングの小規模部門(従業員25~99人)で4位につけた。その根底には、末松社長が地道に続けてきたフィロソフィの浸透がある。
18歳で事業を継ぎ、価格競争に苦しんだ父
バーテックは工業用ブラシの開発と提案営業に特化したブラシメーカーである。1962(昭和37)年、祖父の富三郎さんが塗装の刷毛や工業用ブラシを製造する「京阪ブラシ工業株式会社」を創業した。父の大幸さんが71(同46)年に後を継ぎ、88(同63)年に社名をバーテックに改めたという。
現社長である末松仁彦さんが3代目を継いだのは、2008(平成20)年、27歳だった。
――社名には先代の思いが込められていると伺っています。
末松 はい。バーテックの「バー」は金属加工などで発生する“バリ”のことで厄介なことを意味しています。「テック」はテクノロジーの略で、「お客様の厄介なお困り事をテクノロジーで解決したい」ということです。
――2代目は問題解決型の企業になろうとされたわけですね。
末松 そうです。実は父が会社を継いだのは、私よりも若かったのです。創業者は、父が18歳のときに亡くなりました。会社経営について詳細には教えてもらえず継いだので、すごく苦労しながら会社を経営しました。
営業に行くとすぐに「値下げしろ」と言われる。当時は他社と差別化できる商品がなかったので、価格競争に苦しめられたようです。そういう世界からなんとか抜け出したいと、父は働きながら慶應義塾大学の通信教育課程でマーケティングの勉強をしました。そうして会社を永続させていくには問題解決型の会社になることだと考えたようです。
――末松さんは小さな頃から会社を継ぐお気持ちだったのですか?
末松 自然にそう思っていましたね。小学校の頃から社員さんたちには3代目と呼ばれていましたし、中学・高校時代は会社でアルバイトをしていました。大学に入ると今でいうインターンシップみたいな感じでいろいろなところに連れて行かれました。社員さんたちが一生懸命に働いている姿を見て、自分がいままで生きてこられたのは社員さんたちのおかげだと、すごく感じたんです。なんとか恩返ししたいと思ったのが、直接的な動機でした。
――大学を出てすぐ入社され、 4 年後には社長に就任しています。
末松 20歳のときに父と話し合って継ぐのなら早いほうがいいだろうと、24~25歳の頃から会社全体を見るようになり、27歳で社長を継いだというわけです。
――2008年ですね。
末松 はい。その年の7月です。
一人ひとりが自分の人生のオーナー経営者
――社長就任の年の9月にリーマン・ショックが起きますね。
末松 さすがに、いったんは売り上げは落ちました。よく「3代目が会社を潰す」っていうじゃないですか。よけいに僕が会社を潰すわけにはいかないと、懸命に利益の数字管理をやったんです。それに応えて営業が頑張ってくれて、業績も伸びていきました。すると、今度は内勤営業の社員の業務量が増えていったんです。
――その頃、何人か社員さんがお辞めになったと聞いています。
末松 特に子育て世代の社員にとっては大変でした。また、その頃ちょうど僕自身、京セラの稲盛和夫さんの盛和塾に通うようになっていて、理念の大切さを学ぶなかで数字だけ追っていてはいけないと思うようになったんです。
――それで社内改革を始められるわけですね。何年頃でしょう?
末松 10(同22)年頃からですね。働くということについて、社員たちの話を聞いたり、自分の夢を伝えたりしていきました。
取材・文 中之町 新
写真提供 株式会社バーテック
本記事は、月刊『理念と経営』2023年 3月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。
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