『理念と経営』WEB記事

ぼくたちは闘うために生きている。 闘うことが人生なんだ

空間プロデューサー  岡本太郎記念館館長 平野暁臣 氏

日本を代表する芸術家の言葉が、ふたたび注目を集めている。どんなときでも思ったことは言う。言葉に保険をかけず、計算もしない。空気も読まないそんなスジを通した直球勝負の生き方が、多くの人の心を揺さぶり、勇気づけているのである。時代が変わってもまったく色褪せない岡本太郎のメッセージとは。岡本太郎記念館館長の平野暁臣氏に聞いた。

創造するということは、人間の根源的な情熱だ

岡本太郎記念館の特徴は、若者の比率が高いこと、そしてリピーターが多いこと。1階のホワイエに置いてあるスケッチブックに彼らがメッセージを残してくれるのですが、そこには「血が沸き立った」、「これで一歩前へ踏み出せそうだ」、「壁にぶつかったらまた来ます」などと書かれています。

岡本太郎は27年も前に亡くなった作家ですが、その作品や言葉は少しも古びていない。

理由はとてもシンプルです。太郎の考えていたことが、すべて人間と芸術の本質や根源に関わる普遍的なものだったから。時代の空気や気分に迎合したり、表層的な流行を追ったりするような、一般の風潮とは真逆だったからです。

太陽の塔を見れば一目瞭然です。1970(昭和45)年の大阪万博。

当時、日本中が熱狂し、“ 夢の未来”を体現していた「ロケット」「ロボット」「コンピューター」などの最先端技術を誇示したパビリオンはすべて消え去り、太陽の塔だけが残った。ぼくたちはいま、情報価値を失った当時のパビリオンは必要ないけれど、太陽の塔は失いたくない。太陽の塔はおそらく千年経っても古くならないでしょう。人間の本質は千年や二千年では変わらないからです。

太郎の人間観・世界観は、万博が訴える「産業技術の進歩が人を幸せにする」という工業社会の進歩観とは真逆でした。だから、能天気な技術礼賛・未来礼賛で埋め尽くされた会場のど真ん中に、あんな土偶のお化けのような代物を突き立てたのです。

「悩むってことを、すばらしいことだと思えばいいんだ。悩んだ途端に、世界がふくれあがって、彩りがバーッと冴えてくる。そう思えばいい」

太郎は、29(同4)年、18歳のときにパリに渡りました。
そして、ナチスによるパリ陥落の少し前、最後の引き揚げ船で日本に帰るまでの11年間をパリで過ごします。

「岡本太郎」がつくられたのはこのときでした。20 世紀芸術の先駆者たちと新しい芸術を追求するなかで、独自の芸術観・人間観を形成していったのです。

取材構成 鳥飼新市
撮影   富本真之


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 2月号「岡本太郎の言葉」から抜粋したものです。

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