『理念と経営』WEB記事
逆境!その時、経営者は…
2022年11月号
逆境の時こそ、焦らず爪を研げ!
株式会社まごのて 代表取締役社長 佐々木久史 氏
「ゴミ屋敷」と呼ばれる物件の特殊清掃に特化した同社。首都圏では業界ナンバーワンの実績を誇っているが、ここまでの歩みは決して順風満帆とは言い切れない。会社倒産、夜逃げ、「便利屋」――波乱万丈な人生を過ごしてきた経営者が語る“逆境下での教訓”。
不況で運送会社が倒産――。身一つでできる「便利屋」を始める
株式会社まごのては、いわゆる「ゴミ屋敷」や孤独死があった部屋などを扱う特殊清掃業者だ。2009(平成21)年の創業以来、わずか13年の間に大きく業績を伸ばした。首都圏で同業他社の追随を許さない支持を得て、年平均1000件もの特殊清掃を手がけているのだ。
創業者である佐々木久史社長は、元々は生まれ育った関西で運送業をしていた。29歳で独立し、運送会社を起業。1年目にして売り上げは3億円に上ったというから、それだけでも経営者としての才覚が察せられる。そして、一時は60台以上のトラックを抱えるまでになった。
だが、その後、外部環境の変化から、事業拡大に急ブレーキがかかった。最初の苦難は、原油価格高騰による燃料費の大幅アップだった。何とか持ちこたえたものの、企業体力をひどく削られたところへ、あのリーマン・ショック(08年)が追い打ちをかける。会社は自動車部品の運送専門だったこともあり、ダメージは大きく、業績は急激に悪化した。
「借金して死にかけの会社にしがみつく選択肢もあったけど、私自身、儲からない商売に嫌気がさしていました。それで、もう会社を畳んでゼロからやり直そうと決めたんです」
翌09年、佐々木さんは家族と共に、逃げるように上京してきた。知り合いのいない土地で出直したかったのだという。
そして、当面の生活費を稼ぎ出すため、元手の資金がいらず、身一つでできる仕事として「便利屋」を始めた。「代行サービス孫の手」という商号をつけ、会社のホームページを自作し、依頼は選り好みせずに何でも引き受けた。
「そのころいちばんいい稼ぎになったのが、上野公園のお花見の場所取り代行でした」
「便利屋」として種々雑多な仕事を請け負う中に、ゴミ屋敷の清掃も一メニューとしてあったのだ。当時は車もオフィスもなく、まだスタッフもいなかった。依頼があるとレンタカーのトラックを借り、家族3人(社長夫妻と息子さん)で清掃に出かけていた。
ゴミ屋敷清掃を行うまごのてスタッフ(写真提供:株式会社まごのて)
「ゴミ屋敷を苦にして死ぬ人もいる。これは人助けや」
便利屋を始めて2年目の2011(平成23)年、転機となる出会いがあった。都内に住む、某有名私立大学に通う女子大生から、自宅ワンルームマンションの特殊清掃依頼を受けたのだ。
「現場を見に行ったら、腰の高さまでゴミが溜まっている本格的なゴミ屋敷でした。電気もガスも止まっていました。見た目はごく普通の女の子だったのですが……」
平然を装っていたが、当時の佐々木さんは内心動揺したという。見積もり料金を伝えると彼女は顔を曇らせ、「お金が用意できたら、また改めてお願いします」と言った。
だが、帰宅後、現場の写真を見た妻の薫さんが、放っておけないと彼女の家に電話をかけた。
「おばちゃん、あなたがこの部屋で毎日寝ていると思ったら耐えられない。いま払えるお金だけくれたら、あとはバイト代が入るたびに少しずつ分割払いしてくれたらいいから」――薫さんはそう言って、特殊清掃を引き受けたのだった。家族3人は丸1日かけて部屋をきれいに清掃した。
次の日、彼女から佐々木さん宛てにメールが届いた。「本当は、断られたらもう自殺しようと思っていたんです。引き受けていただき、ありがとうございました」という内容が書かれていた。
そのメールを見た時、私は『便利屋をやめて特殊清掃専門でやっていこう』と決意したんです。『世の中にはゴミ屋敷を苦にして死ぬ人もいる。彼女以外にもたくさんいるだろう。これは人助けや』と……。じっさい、これまで11年特殊清掃をやってきて、私が知っているだけで、ゴミ屋敷を苦に自ら命を絶ったという人は3人いました。専業化を決めてすぐに、自社ホームページも作り変えて、ほかの便利屋的メニューはすべて削除しました」
とはいえ、特殊清掃に特化した直後には、依頼も少なく暇だった。それが一気に軌道に乗ったのは、テレビ番組で取り上げられてからだという。
「テレビの取材依頼を受けると、こう言うようにしていました。『ゴミ屋敷の住人は、心を病んでいたり、やむを得ない事情を抱えていたりする普通の人たちです。面白おかしく取り上げないでほしい』と……。その気持ちを汲んでくれた方の取材だけを受けるようにしたのです。そのため、取材もじっくり時間をかけて丁寧で、質の高い番組内容にしてくれました。だからこそ宣伝効果も高かったのです」
佐々木社長の妻であり現会長の薫さん。「商売っ気の強い主人のやり方だけでも、おせっかいなあたしのやり方だけでもここまで来られなかった」と言い、夫妻が二人三脚で会社を経営してきたことがうかがえる
取材・文・撮影 編集部
本記事は、月刊『理念と経営』2022年11月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。
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