『理念と経営』WEB記事

流れの中で縁に従い、足るを知り、生きる

慈眼寺住職 塩沼亮潤 氏

千日回峰行は人生の縮図であり、ビジネスにも共通するところがたくさんある――。難行を成し遂げた大阿闍梨が語る、率直な思い。

“里”の行は山の行よりも厳しい

多くの人が抱く私のイメージは、「大峯千日回峰行」という過酷な修行をした人間というものだと思います。想像を超える修行の部分がクローズアップされ、それがみなさんのイメージとなって浸透しているようです。

しかし、と、私自身は思うのです。

私にとって、より大変だったのはその修行が終わった後の修行。すなわち、総本山を出て、故郷である仙台に一人でお寺を建立(開山)し、軌道に乗せていくという日常のほうが、よほど厳しかったからです。

本山で修行をしたものの、住職をしたことはありません。弟子を持ったこともなければ、お寺の経営もしたことがない。まさに、ないないづくしの出発でした。譬えてみれば、新しく会社を創業したベンチャーの厳しさに似たものがあったと思います。

お寺を建立した後も、縁に従って生きていたら「講演をしてください」と頼まれるようになりました。講演など、したこともありません。今度は「本を書いてみませんか」と言われました。本など書いたこともありません。すべて初めてのことへの挑戦でした。

これらは本当に大変だったのですが、幸い私には生きる土台となる修行がありました。目には見えない根っこの部分の修行です。それは、家庭においても、社会においても一番大切なものに違いありません。具体的に何かと言うと、1つは感謝の気持ちを忘れないということです。2つ目はリスペクト。相手に対しての敬意を忘れてはいけないということです。3つ目が、常に自己を省み、足るを知るということです。この3つは人としての基本といえるものです。

さらにもっと深い部分で大事なのが、自分の気持ちがネガティブなのか、ポジティブなのか、ということです。どんな困難が起こってもネガティブなほうに行かないようにするのが、修行の中で最も大切なことなのです。

気持ちがネガティブなままでは、どんなに修行しても意味がありません。ネガティブな人間は変わらないのです。常に気持ちをポジティブにすることが、修行の一番大事な基本中の基本なのです。

しかし、これは難しいことです。修行というのはお手本となる師匠の生き方を、その背中を見て真似していくしかない。根気のない人は飽きるし、師匠を心からリスペクトしていないと、自分の嫌なことや駄目な部分を指摘されればついネガティブになる。

なにより師匠を信じることが大切なのです。

構成 鳥飼新市
写真提供 慈眼寺


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本記事は、月刊『理念と経営』2022年11月号「私はこう思う」から抜粋したものです。

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