『理念と経営』WEB記事
特集1
2022年11月号
価格破壊モデルから脱却し“価値創造”の経営に転換を

東京大学 名誉教授 伊藤元重 氏
金利、資源価格、為替レートなど、さまざまな面で不確実性が高まっている。マクロ経済環境が激しく変化する今、中小企業が持つべき心構えとは――。
この20年は「停滞と安定」の時代だった
――物価高や円安の影響を受けた倒産が急増しています。中小企業が経営のかじを取る上で今、踏まえておきたいことはどんなことでしょう。
伊藤 改めて考えておかないといけないのは、この20年、日本は実は意外に安定的な経済環境にあったということです。景気は悪いけど、金利が低いこともあって倒産は増えない。為替もほとんど動かない。雇用も比較的、安定していた。私は「停滞と安定」と呼んでいますが、それが当たり前のようになってしまっていた。つまり、本来、企業が苦労しながらやってこなければならない一番大切なことが、やらなくても済んでしまった面がある、ということです。
例えば、自分たちが持つバリュー(価値・強み)や付加価値を見極め、しっかり磨いていく。そうすれば、コストが上がって価格を上げようとしても不利になることはないわけですが、これができていたか。特にこの10年は、コロナ禍は別にして、実は企業にとっては居心地のいい状態だったのかもしれません。そこに大きな波がやってきた。久しぶりどころか、40年来、50年来の大きな波です。
――急速な円安は、日本の物価や賃金が上がっていないことも背景にあるようですね。
伊藤 振り返ってみると、円高のピークは1995年でした。円の実力を測る実質実効為替
レートを見てみると、2010年を基準として100としたとき、95年は150を超える水準でした。これが今年2月時点で66.5まで落ちている。実は、過去50年で円レートは今が最も安くなっているんです。これは、物価や賃金が上がらないデフレ状態が20年以上も続いたことの影響が大きい。
一方で例えばアメリカは毎年2%の物価上昇があったとすると、20年で48%も上がったことになる。当時、ニューヨークのランチは7~8ドルで食べられたものが、今や20~30ドルする。それがアメリカ人にとっての実感ですが、日本は相変わらず800円でランチが食べられる。日本経済は、それだけ相対的には安くなってしまったということです。そして、日本人の所得も低くなった。
日本には物価が上がりにくい構造があるわけですが、その中心にあるのが賃金です。賃金が上がっていかない限りは、日本の物価も上がっていかない。ただ、今は一部の食品やエネルギー関連だけが上がっている歪(いびつ)な状況にあります。このままだと、国民の生活はとても厳しくなる。特に所得の低い人たちは大きな影響を受ける。
流れとして、賃金は上がっていくことになると私は考えています。例えば外食産業にしても、物流産業にしても、すでに人が足りなくなっている。人材確保のためにも賃金は上げていくしかない。経済界もその方向です。時間はかかるかもしれませんが、間違いなくこの流れです。中小企業も、人材確保と賃金上昇からは逃れられなくなります。
ちょっとした変化でバリューを大きく上げる
――デフレ時代には価格破壊経営、単品経営がパワーを発揮したわけですが、これから物価が上がっていく時代にはどんな経営姿勢で臨んでいけばよいのでしょう?
伊藤 単品で効率性を活かし、圧倒的な価格競争力を持つビジネスモデルは、確かにデフレ時代には有効でした。しかし、このビジネスモデルで値段を上げていくことは、簡単ではありません。そこで、例えば単品ではなく多様な商品を持つ。新しい製品を出すことで、価格の多様性を持たせる。そうすることで、企業としての付加価値やブランド価値を上げていく。トータルで客単価を上げていく。
今、小麦の価格が上がっています。例えば、パスタを出している店は値段を上げざるを得ないわけですが、ただ上げていくだけでは簡単には受け入れてもらえません。そこで例えば、糖質オフのメニューを考案する。メニューの工夫で付加価値をつけていくんです。
また、値段をそのままに、これまで80g入れていたものを、70gに下げるという方法もある。「ステルス値上げ」とも言われていて、あまり露骨にやると問題がありますが、一方で今は量が少ないほうがいいというニーズもあります。少子高齢化、小食化というのも社会の流れで、そもそも量が多すぎると感じている人もいる。新しいライフスタイルの提案という形で量を減らしていくのも、うまく世の中にマッチしている面もあるわけです。
取材・文 上阪 徹
撮影 編集部
本記事は、月刊『理念と経営』2022年11月号「特集1」から抜粋したものです。
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