『理念と経営』WEB記事

「暖簾を捨てる覚悟」で拓いた突破口

近江屋ロープ株式会社 取締役会長  野々内達雄 氏

江戸時代から続く老舗企業が、バブル崩壊後の環境変化で長い売り上げ低迷に……。8代目は社員たちを守るため、卸専業からものづくりにかじを切った。1人もリストラすることなく、V字回復を成し遂げるまでの闘いの軌跡――。

社長就任とほぼ同時に、長期低迷の試練が始まった

近江屋ロープは、江戸時代の文化年間(1804~18年)に創業された。200年を超える歴史を誇る老舗だ。野々内達雄会長は8代目に当たり、今年社長になった息子の裕樹さんは9代目である。

社名の通り、長い歴史の大半を「つな屋」として生きてきた。麻や綿などのロープを製造・販売していたが、戦後は卸売り専業となり、ワイヤロープなどの産業資材分野にも手を広げる。長い間、2大得意先は建築・土木業と林業であり、高度経済成長の波に乗って業績を伸ばした。だが、バブル経済崩壊以降、大きなウエートを占めていた公共事業関連の仕事が激減。会社のもう一つの柱だった林業分野は、業界全体の斜陽化でバブル以前から売り上げが減っていた。

野々内会長が40歳で社長に就任したのは1991(平成3)年だが、その年に15億円あった売り上げは、2003(同15)年には8億円にまで落ち込んだ。事業承継してすぐ、長期低迷という逆境が始まったのである。

野々内さんは、懸命に苦境の突破口を探した。例えば1997(同9)年には、獣害防止用の「グリーンブロックネット」を開発・商品化し、新たな分野に挑戦を始めた。

「グリーンブロックネットは、林業部門のベテラン社員の提案から生まれたものでした。彼は森林組合から『シカの食害が増えて困っている』という話を聞いて、その提案をしたのです。彼にしてみれば、自分の部門が会社のお荷物になっている負い目があって、役に立ちたい一心で提案したのでしょう。私はその思いに応えたくて商品化したのです。ただ、単価は安いし、少しくらい売れても焼け石に水だろうと、期待はしていませんでした」

その予想に反して、全国的に獣害が増え始めたことが背景となり、グリーンブロックネットは徐々に売り上げを上げていった。

「発売して3年後くらいには、林業部門の赤字はその売り上げでカバーできるまでになりました」

営業課長の悲痛な一言が「第2創業」の契機に

それでも、会社全体の低迷は相変わらず続いていた。そして、2002(同14)年に、野々内さんにとって転機となる出来事が起きる。

「当時、営業部門の社員たちは業績が上がらず、やる気を失っていました。そんな中で卸部門の営業課長が毎日夕方になるとサボって一杯飲みに行っているという話を聞きつけ、社長室に呼んで叱りつけたんです。すると、彼は私の目を見据えて、『社長は卸売りのことも私たち(営業)のことも、もう見捨てておられるんでしょう』と言ったんです。『アホ言うな!』と言い返しましたが、その一言が深く心に刺さりましてね」

社員を大切にしてきたつもりでいたが、もしかしたらそんなふうに言わせるものが自分の中にあったのかもしれない……営業課長の悲痛な一言は、 野々内さんが自分を見つめ直す契機になった。

かねてより「人生の師」として深く尊敬している実践哲学者に、アドバイスを求めた。その人は、「老舗の暖簾を背負っていくことに、深い部分であなたの心が縛られているのではないでしょうか?」と指摘をした。野々内さんは、その言葉にハッとした。心のどこかで、社員の人生よりも暖簾を守ることを最優先にしていたと気づかされたのだ。

その気づきが大きな「一念の転換」をもたらした。

「これからは暖簾を捨てる覚悟で、社員の幸せを最優先にして、会社の再建に取り組もう」と決意したのだ。そこから、ロープの卸売り専業という在り方を捨て、獣害防止製品の開発・販売に大きくシフトしていった。

取材・文 編集部
写真提供 近江屋ロープ株式会社


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本記事は、月刊『理念と経営』2022年10月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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