『理念と経営』WEB記事

第28回/『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』

「経済学のビジネス実装」の重要性訴える

Amazonやマイクロソフト、グーグル、Uber、Airbnbなど、米国のテック大手はこぞって経済学者を社員として高給で雇用し、彼らの専門的知見を経営に生かしている――そんな話が、ここ数年のビジネス記事ではしばしば紹介されています。

とくに熱心なのはAmazonで、150人もの経済学者を社内に抱えているとか。
また、本書でも紹介されていますが、グーグルの収益源となる広告モデル(検索連動型広告の販売オークション方式)を設計したハル・ヴァリアン氏は、「グーグルを世界一にした経済学者」とも呼ばれています。これが、「経済学のビジネス実装」の最もよく知られた成功例でしょう。

《アメリカでは1990年代から、企業が経済学をビジネス活用するという動きが進んできました。日本ではこの動きが2020年頃から活発化してきましたが、まだ社会に浸透したというほどではありません》

本書の「まえがき」にはそうあります。
つまり、「経済学のビジネス実装」という動きは、本場アメリカより四半世紀も遅れて、いまようやく日本でも活発になりつつあるのです。

本書はまさに、「経済学のビジネス実装」がなぜ必要なのかを訴えた一冊。
著者6人のうち、5人までが大学で研究する第一線の経済学者であり、残る1人(今井誠氏)は経済学のビジネス実装を事業として行う「株式会社エコノミクスデザイン」の共同創業者・経営者です。

5人の経済学者も、それぞれエコノミクスデザインの共同創業者や所属エコノミストです。したがって、本書に同社の宣伝という側面があることは否めません。その点は念頭に置いて読む必要があるでしょう。

たとえば、『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』というタイトルはいささか大げさで、内容との齟齬が感じられます。

本書は、“今後、経済学のビジネス実装が進めば、日本のビジネス課題の多くは解決に向かっていくだろう”との展望を語る内容で、解決済みの課題を紹介したものではないからです。タイトルをアイキャッチにしようとするあまりの勇み足でしょう。

とはいえ、内容に宣伝臭はなく、中小企業経営者が読んでも大いに学びになる本です。

「経済学はビジネスの役に立たない」という誤解

「経済学者の言うことはしょせん机上の空論で、現実の経営には役に立たない」
――そんなイメージを抱いている中小企業経営者は多いでしょう。しかし、著者たちはそうした見方を否定します。

《学問の世界には、ビジネスに有益な学知が多く眠っています。「眠っている」というのが、わたしの偽らざる感覚です。学問の世界とビジネスの世界はうまく接続されていません。ビジネスに有益な学知が使われないまま静かに佇んでいます。もったいないなあと思っています》

《世の中に、「自分が直面する課題が人類初」ということは、まずありません。きわめて高確率で、過去に同じか類似した課題があり、先人たちが試行錯誤しています。学問はそれら過去の経験を整理して、理屈を体系化し、未来に使える道具として拵えたものです。「車輪の再発明」で時間を無駄にしないためには、巨人の肩の上に立つ(standing on the shoulders of Giants)ことが賢明です》

最先端の経済学の知見をビジネスに取り入れることで、「巨人の肩の上に立つ」ように先を見据え、他企業に先んずることができるというのです。
とくに日本の場合、大半の企業はまだ「経済学のビジネス実装」に取り組んでいませんから、先行者利益も大きいでしょう。

米国が1990年代から経済学を貪欲にビジネスに活用してきたのに、日本でいまだに「経済学はビジネスの役には立たない」というイメージが根強いのはなぜでしょう? 本書は、その背景にある誤解をていねいに解いていきます。

《「使う」という視点は、経済学の教育で乏しいように思います。「知る」とか「理解する」でとどまっているのですね。経済データの扱い方を知るとか、市場の仕組みを理解するというように。いわば教科書できれいなサイエンスを学ぶことで止まっている。
 そこから一歩踏み込んで、現実の問題を解決していく。実は、経済学はそれができる段階にとっくに達しています。(中略)
 つまり、個別の問題に向き合って解決していく必要があるわけです。これはサイエンスというよりは、エンジニアリングという言葉のほうがしっくりきます。「サイエンスで問題に接近していき、エンジニアリングで解決する」というイメージですね。
 現在の大学の経済学教育では、このエンジニアリングに関する要素が決定的に欠けているように感じます。ほとんど教えていない、という大学も少なくないでしょう》

日本の大学の経済学教育が、サイエンス偏重でエンジニアリングを軽視してきたことが、「経済学はビジネスの役に立たない」という誤解の背景にある……との指摘です。

マーケットデザインから会議まで

米国で経済学者を雇用している企業にテック大手が多いこともあり、「うちはIT企業じゃないから、関係ない話だ」と思う中小企業経営者もおられるかもしれません。

テック大手に雇われている学者は「デジタル経済学者」とも呼ばれており、IT企業との親和性が高いのは事実です。しかし、本書で言う「経済学のビジネス実装」は、けっしてIT企業やオンラインビジネスに限定された話ではありません。

たとえば、商品の値上げや値付けを考えるプライシング戦略には、データサイエンティストの分析が大いに役立つことが、本書には詳説されています。

《市場に関する公開情報や顧客のデータから需要予測を行なっているのが、統計学や計量経済学(エコノメトリクス)を修めたデータサイエンティストたちです。本章で扱ったプライシングだけでなく、ウェブサイトのデザインや広告の送り方など、売り方・伝え方を変えたときに潜在的なカスタマーの需要がどう変化するのかを彼らは精緻に分析しています》

プライシング、自社サイトのデザイン、広告手法など、あらゆる企業に必要な事柄の戦略立案に、経済学の知見は生かせるのです。

本書では、顧客管理や営業の効率化、果ては会議の改善に至るまで、企業経営のさまざまな側面について、最新の経済学の知見を生かす道筋が示されています。

また、本書を読んで、「経済学が企業経営に役立つことはよくわかった。さっそく取り入れたい」と思った場合、どうすればよいのかも、大雑把ながら解説されています。

中小企業の場合、米国のテック大手のように経済学者を雇用することは、不可能に近いでしょう。したがって、外部の経済学者に適宜アドバイスを請う形になるでしょうが、その場合の留意点にも触れられています。

著者は、経営者が「生徒」となって経済学者から一方的に教えを請う形ではダメだ、と強調します。

《彼らはあくまで「経済学の専門家」です。ビジネスに役立つ経済のサイエンスやエンジニアリングには精通していても、ビジネスそのものには明るくありません。だから「生徒」になっていても、天啓は降りてきません。(中略)学知を使ってビジネス課題を解決するには、まず、ビジネス側からドメイン知識を提供する必要があります。(中略)
 私たちは、経済学者を「先生」ではなく、共に課題に立ち向かう「パートナー」として取り組むことが大事なのです》

また、ふさわしい「パートナー」を見つけるためには、そもそもの「出会い」が大切だとも指摘されています。

《自分たちのビジネス課題を解決するには、経済学のどのような分野の研究が適切なのか。その経済学者はどこにいるのか。
 これらがわからなくては何も始まりません。経済学にはどんな分野や研究があり、それらはどのようなビジネス課題に適しているのか。深くは知らずとも、浅く広く経済学の全体を把握しておかねばなりません》

そして、終章で、編著者でもある今井誠氏は次のように書いています。

《本書の根底にあるのは、「経済学は、ビジネスに対してとても役に立つ」という自分自身の実感と、日本企業、ひいては日本経済に対する危機感です。
 同じ20〜30年でも、この間にアメリカが遂げた変化と日本が遂げた変化には大きな乖離があります。それは、様々なデータが証明しています。学知を活用する姿勢があまりに違う。アメリカの企業は、学知をとても貪欲に活用しようとします》

つまり、日本経済に「失われた30年」をもたらした要因の一つが、経済学のビジネス実装に大きく後れを取ってきたことにあると、氏は見ているわけです。
だからこそ、これから日本企業が経済学のビジネス実装に取り組むことは、日本経済の再生にも結びついてく――本書の根底には、そうした確信と願いが込められているのです。

今井誠・坂井豊貴編著、上野雄史・星野崇宏・安田洋祐・山口真一著/日経BP/2022年4月刊
文/前原政之

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