『理念と経営』WEB記事

第20回/『GRIT やり抜く力――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』

努力の大切さに科学のメスを入れる

『理念と経営』2022年7月号の「三位一体論」に、本書についての長い言及がありました。6年前(2016年)に出た本ではありますが、私自身も愛読してきた一冊なので、取り上げてみましょう。

本書は、米ペンシルベニア大学の心理学教授であるアンジェラ・ダックワース博士が、「GRIT(やり抜く力)」についての自らの研究を一般向けにまとめたものです。世界的ベストセラーとなり、日本でも邦訳が30万部を突破しました。

GRITとは、元々は歯をぎりぎりと噛みしめる様子を表す擬音語。そこから転じて、歯を食いしばって困難に立ち向かう気概や根性を意味する言葉になりました。

本書の原題は、“GRIT: The Power of Passion and Perseverance”(グリット:情熱と粘り強さの力)です。このタイトルが示すように、ダックワース博士の言う「GRIT」は、情熱と粘り強さという2つの要素から成っています。
自分にとっての大切な目標に向け、ひたむきに取り組む「情熱」と、途中で困難があってもあきらめずに努力し続ける「粘り強さ」――2つが合わさったものが「GRIT」なのです。

つまり、本書で言うGRITとは、ただ単に歯を食いしばって頑張ることでもなければ、短い間だけ瞬発的に努力することでもありません。大きな目標に向かって持続的に長く努力を続け、「やり抜く力」がGRITなのです。

「目標に向かってあきらめずに頑張ることが大切なのは、あたりまえだ」と感じる人もいるかもしれません。
しかし、本書の価値、ひいてはダックワース博士の研究の価値は、昔から言われてきた「努力の大切さ」に科学のメスを入れ、新たな光を当てた点にあるのです。

才能だけでは偉業は成し遂げられない

ある分野で突出した成功を収め、偉業を成し遂げるには、才能と努力のどちらが重要だと思いますか? おそらく、「才能だ」と答える人のほうが多いでしょう。

たとえば、一流アスリートや演奏家の美技に触れたとき、私たちは「天才ゆえの力」を感じ、「凡人がどんなに努力しても同じことはとてもできない」と思ってしまいがちです。

しかし、ダックワース博士は本書で、“いかなる分野であれ、偉業を成し遂げるために大切なのは、才能よりも「やり抜く力」だ”と主張しているのです。
それは、単なる精神論ではありません。博士は心理学の作法に則った調査・研究を積み重ねた末、成功を決定づける最大の要因は、才能ではなく「やり抜く力」だという結論に達したのでした。

もちろん、あらゆる分野に「持って生まれた才能」があるのは確かですし、成功者には才能に恵まれた人が多いのも事実でしょう。しかし、持って生まれた才能だけでは、偉業と呼び得るほどのことは成し遂げられないのです。
本書はそのことを、豊富な事例とデータから明らかにしていきます。

いちばん最初に挙げられているのは、米国陸軍士官学校の事例です。
所在地に由来する「ウェストポイント」の通称で知られる同校は、最難関大学に匹敵する入学審査の厳格さで知られ、学力・体力ともにきわめて優秀な若者のみが入れます。

にもかかわらず、入学した士官候補生のうち、5人に1人は中退してしまいます。しかも、その大半は、入学直後の7週間で行われる基礎訓練の途中で辞めてしまうのです。

それほど過酷な訓練であるわけですが、では、それに耐え抜く人はどのような人なのか?ダックワース博士は大学院博士課程のころから、その問いをテーマに研究を始めていました。

ウェストポイントの入学前に、入学事務局では「志願者総合評価スコア」を算出します。それは、高校での成績、リーダーとしての資質の評価、体力測定のスコアの加重平均から割り出したものです。
しかし、この「志願者総合評価スコア」が高い者は中退率が低いかといえば、そうではありませんでした。最高評価を得た人たちも、最低評価の人たちと同じくらいの中退率だったのです。

一方、ダックワース博士が作り出した「グリット・スケール」(「やり抜く力」を心理学的に測定するテスト)を用いて調査してみると、「やり抜く力」が強い者ほど中退率が低いという結果が示されました。
しかも、「やり抜く力」の高さと「志願者総合評価スコア」の高さには、何の関係も見られませんでした。《優秀な士官候補生でも「やり抜く力」が強いとは限らず、逆もまたしかりだった》のです。

つまり、ウェストポイントの過酷な訓練に耐え抜けるのは、体力の強い者でも、学力の高い者でもなく、「やり抜く力」の強い者たちだということがわかったのでした。

この結果を基点に、ダックワース博士は「やり抜く力」の研究にのめり込んでいきました。ウェストポイント以外の場所でも「やり抜く力」が重要なのかを検証するため、同じように《多くの脱落者が出るような状況》で、調査を積み重ねていったのです。

その結果、営業職であれ、大学であれ、グリーンベレー(米陸軍特殊部隊)の選抜コースであれ、「スペリング・ビー」(全米から参加した少年少女たちが英単語のスペルの正確さを競う一大イベント)であれ、最後まで脱落せずに生き残るのは「やり抜く力」の強い者だということがわかりました。

博士はいまや「やり抜く力」――GRIT研究の第一人者となり、その研究はアメリカの教育界・ビジネス界で大きな注目を浴びています。その一つの証左として、彼女は2013年度の「マッカーサー賞」(米国内ではノーベル賞に匹敵するほど栄誉ある賞)にも輝きました。

「ポジティブ心理学」の最前線がわかる

GRIT研究のエッセンスが詰まった本書の前半では、これまでの研究を振り返るなかで、「やり抜く力」の重要性がわかりやすく示されていきます。

ダックワース博士の師に当たるのは、楽観主義研究の第一人者で、「ポジティブ心理学」の生みの親であるマーティン・セリグマン博士(ペンシルベニア大学ポジティブ心理学センター長)です。

1990年代に誕生した「ポジティブ心理学」は、それまでの心理学が心の病などに焦点を当ててきたのに対し、幸福感や楽観性など、心のポジティブな側面に焦点を当てることに特徴があります。
「やり抜く力」というポジティブな側面に光を当てたダックワース博士の研究は、まさにポジティブ心理学のメインストリームに位置しています。

本書には、師であるセリグマン博士との生々しいやりとりも紹介されています。
また、やはりポジティブ心理学の重要人物であり、「フロー」の研究で知られるミハイ・チクセントミハイ博士や、当連載でも紹介した『マインドセット――「やればできる!」の研究』の著者キャロル・ドゥエック博士なども登場します。

ポジティブ心理学の最前線を知るうえでも、本書は有意義な一冊と言えます。

「やり抜く力」を伸ばし、人生を変える一冊

ダックワース博士の研究を論文の形で読めば難解なのでしょうが、本書は一般書なので、読み物としても楽しめる内容になっています。

とくに面白いのは、研究のプロセスで博士がインタビューした、「やり抜く力」の達人たちのエピソードです。スポーツ、学問、ビジネス、芸術、芸能など、多岐にわたる分野で偉業を成し遂げた人たちが、次々と登場します。

傍目には天才としか思えない彼らが、じつは地道な努力を長年積み重ね、「やり抜く力」によって偉業を成し遂げたことが、明かされていきます。
読者はそれらのエピソードを通じて、日々の努力の大切さを改めて痛感するでしょう。

そして、本書の後半には、「やり抜く力」を伸ばすにはどうしたらよいかが詳述されています。
子どもに「やり抜く力」をつけるにはどんな育て方をすべきかという教育的観点からの記述も多い一方、大人になってからも「やり抜く力」は伸ばせると、ダックワース博士は言います。

ポジティブ心理学の大きな特徴は、「人は変われる」という考え方が根底にあることです。
マーティン・セリグマン博士は「学習性楽観主義(Learned optimism)」を提唱し、“楽観主義は生まれつきの性格ではなく、学習とトレーニングで誰もが身につけることができる”と喝破しました。キャロル・ドゥエック博士は、“人のマインドセットは変えられる”と説きました。

同様に、ダックワース博士は本書で、“「やり抜く力」を伸ばすことで、人生を変えられる”とくり返し主張しているのです。

《本書を執筆したのは、私たちが人生のマラソンでなにを成し遂げられるかは、まさに「やり抜く力」――長期的な目標に向けた「情熱」と「粘り強さ」にかかっているからだ。やたらと「才能」にこだわっていると、この単純な真実を見失ってしまう》(「最後に」)

また、ポジティブ心理学は幸福を大きなテーマとしていますが、本書もしかりです。
終盤には《「やり抜く力」が強いほど「幸福感」も高い》ことが明かされており、本書も一種の幸福論として読めるのです。

企業経営者が本書を読むべき理由

本書は、主として個人の「やり抜く力」に焦点を当てていますが、中小企業経営者にとっても必読の一冊と言えます。

いうまでもなく、人材確保は中小企業の大きな課題です。そして、真に優秀な人材であるか否かは、学業成績や体力測定の結果だけではわからないことは、経営者ならよく知っているでしょう。
本書には、優秀な人材を見極めるための重要な観点が示されています。それこそ、「やり抜く力」の強さなのです。
経営者や採用担当者が本書を熟読することで、今後、社員候補者を見る目が大きく変わるはずです。

また、後半で明かされる「やり抜く力」を伸ばすノウハウは、社員教育にも生かせるでしょう。
本書は、社員一人ひとりの「やり抜く力」を伸ばすことによって、強い組織を作るヒントがちりばめられた一冊でもあるのです。

実際、ダックワース博士はいま、組織の「やり抜く力」を高める研究に取り組んでいるようです。
その一端に、『ハーバード・ビジネス・レビュー』の特集を書籍化した『PURPOSE(パーパス)』(ダイヤモンド社/2021年10月刊)という本で触れることができます。

同書には、ダックワース博士がトーマス・H・リー(プレス・ゲイニー最高メディカル責任者)博士と共同執筆した、「組織の『やり抜く力』を高める」という論文が掲載されているのです。
近い将来、本書の続編が出るとしたら、おそらく「組織の『やり抜く力』を高める」がテーマとなるでしょう。

そして、いうまでもなく、本書は経営者自らが「やり抜く力」を伸ばすためにも役立つのです。

アンジェラ・ダックワース著、神崎朗子訳/ダイヤモンド社/2016年9月刊
文/前原政之

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