『理念と経営』WEB記事

創業の志を未来につなぐ、 トップの思いを語り尽くせ

味の素株式会社 取締役 執行役 西井孝明  氏 ✕   一橋大学ビジネススクール客員教授 名和高司 氏

資本主義経済の限界が盛んに論じられる中、世界中で注目を集めている「パーパス経営」。味の素株式会社は先駆的な実践企業として知られているが、その礎を築いたのが、前社長の西井孝明氏である。「食と健康の課題解決」という社会的価値を企業価値に結び付ける「味の素流CSV(共有価値の創造)経営」を、いかにして軌道に乗せてきたのか―。名和高司教授に解き明かしていただいた。

―名和先生はかねてより、味の素を日本におけるパーパス経営、CSV(共有価値の創造)経営を代表する企業として高く評価しておられますね。そして、味の素がパーパス経営に大きく舵かじを切ったのは、西井取締役執行役の社長時代でした。そのあたりのお話から伺えればと思います。

名和 パーパス経営やCSV経営というのは、「社会的価値と企業価値の両立」を目指すものです。企業として社会に貢献しながら、そのことによってちゃんと利益も上げ、企業価値を上げていこうとする経営姿勢なのです。
口で言うのは簡単でも、実現するのはすごく難しいので、立派なパーパスを掲げていても単なるきれいごとに終わっている企業が多いですね。その中にあって、西井さんが社長になられてからの味の素は、味の素流のCSV経営である「ASV(Ajinomoto Group Shared Value)経営」を掲げて、本気でパーパスを経営の主軸に据えられました。そこが素晴らしいと思います。

西井 それは、私の個人的キャリアも影響しています。スープのクノールブランドの責任者を務めたり、ブラジル味の素の社長を務めたりしたので、海外のグローバル企業がサステナビリティ重視に舵を切る様子を、目の当たりにしたのです。「世界のビジネスに、いますごい変化が起きている」と実感しました。
味の素は環境問題などに対する意識が元々高い企業ではありましたが、以前はその意識が一部の担当者のみにとどまりがちでした。それを会社全体にどう共有させていくか、そして、「社会的価値と企業価値の両立」をどう推進していくかが、私の7年間の社長時代の大きな使命だったと思います。

名和 味の素は「食と健康の課題解決企業」をパーパスとして掲げておられますが、そこに至るまでには紆余曲折もあったようですね。

西井 そうなんです。「ASV経営」という言葉自体は前任者から引き継いだものですが、私が社長になった2015(平成27)年当時のビジョンは「確かなグローバル・スペシャリティ・カンパニー」というもので、そのために「2020年にグローバル食品メーカーのトップ10入りを果たす」という目標を掲げていました。ところが、18(平成30)年の半ばくらいの時点で、20年までの目標達成が不可能であることがはっきりわかってしまったのです。社長として、「目標達成できなかった」というギブアップ宣言をしなければなりません。しかし、単にギブアップするだけでは社員の士気が下がってしまいます。そこで、2030年に向けての新たなビジョンを打ち出そうと決めました。
そのころ、40人ほどの役員たちが集う恒例の合宿で、ショッキングなことがありましてね。「確かなグローバル・スペシャリティ・カンパニー」という当時のビジョンを言える者が、役員の中に一人もいなかったのです。

名和 ビジョンが役員にすら浸透していなかったのですね。

西井 ええ。これは深刻な問題だと感じて、役員合宿の中で、過去20年間のわが社の経営の振り返りをじっくり行いました。すると、掲げたビジョンと実際の経営がうまく連動していないことが浮き彫りになりました。その反省を踏まえ、役員たちと議論しながら決めたのが、「食と健康の課題解決企業」というパーパスです。
同時に、パーパスを実現するためのグループビジョンとして、「アミノ酸のはたらきで食習慣や高齢化に伴う食と健康の課題を解決し、人びとのウェルネス(こころと体の健康)を共創します」を掲げ、「10億人の健康寿命を延伸します」「事業を成長させながら、環境負荷を50%削減します」という2030年までの目標を掲げて、2020(令和2)年からスタートしたんです。
そのパーパスは全役員が絶対に言えるはずですし、ビジョンを忘れている役員も一人もいないと思います。

「志と利益の両立」に、社長として本気で取り組む

名和 いまのお話には、中小企業経営者にとっても学ぶべき点が多いと思います。
ポイントの第一は、現状がうまくいっていないとき、立ち止まって過去を振り返り、反省することが大事だということです。私はその営みを「内省セッション」と呼んでいますが、多くの企業がそれをやらず、反省しないまま突っ走ってしまいがちです。でも西井さんはそれを真剣にやられた。これはすごく勇気のいることなんですよ。なぜなら、経営への反省は必然的にトップ批判につながる面もあるわけで、社長が矢面に立つからです。

西井 おっしゃる通りで、過去の振り返りを役員合宿でやったときには、事前に「この合宿での発言については、一切の責任は問わない」という社長名義のレターを書いて、全員に送りました。だからこそ本音の議論ができたのです。私に対する批判もたくさん出て、腹も立ちましたが、全部受け止めました。

名和 ポイントの第二は、パーパスやビジョンは、社員一人ひとりが腹落ちして「自分ごと」化しない限り、単なるきれいごとのお題目に終わるということです。その腹落ちまでのプロセスが、じつはとても大変なのです。

西井 ええ。いまのパーパスとビジョンを決めたとき、役員の一人から言われたのが、「前のビジョンは腹落ちしなかったが、今度のビジョンは腹落ちする」という一言でした。「腹落ちしなかったのなら、そのときにそう言ってくれよ」と思いましたけど(笑)。
なぜ新しいパーパスとビジョンは腹落ちしたかといえば、味の素の創業以来の志と合致して齟齬がないからだと思います。うま味成分の「グルタミン酸」(アミノ酸の一種)を発見した池田菊苗博士の、「佳良にして廉価なる調味料を造り出し滋養に富める粗食を美味ならしむることにより国民の栄養不足を解決する」という言葉があります。言うまでもなく、その調味料こそ「味の素」であったわけですが、いまから113年前の創業(1909年=明治42年)当時から、食と健康を企業理念の軸としていたことがわかります。

名和 社員一人ひとりにパーパスやビジョンを浸透させるための努力も、相当されたそうですね。

西井 そうですね。たとえば、一回20人から数十人の社員を集めて、私が直接パーパスとビジョンについて語る対話集会を、トータルで百数十回開催しました。各部門の組織長を集めたり、若手社員の代表を集めたり、クラスをいろいろ変えて……。それから、社外有識者や社外取締役を審査員に据えた「ASVアワード」という賞を作って、ベストプラクティスを表彰したりもしました。
そうしたプロセスでも感じたことですが、新しいパーパスとビジョンは創業の志と具体的に紐づいているので、その分だけ社員一人ひとりにとっても腹落ちしやすかったようです。

名和 企業が迷ったとき、原点の志に立ち返ることはとても大事ですね。それは、味の素のような百年企業に限ったことではありません。歴史の浅い企業にも、原点は必ずあるはずです。むしろ最近のベンチャー企業のほうが、ヘタに歴史の古い企業より、志をしっかり持っている面もあります。
ただ、原点の志に立ち返るといっても、それが単に「昔はよかった」と懐古する話になってはダメです。その志を未来につなげていくためのアレンジが必要になります。

西井 ええ。一口に「食と健康」と言っても、百年前といまでは課題がまったく違います。創業当時は「国民の栄養不足を解決する」ことが最大の課題でしたが、いまは飽食の時代で、いかに低カロリー・低糖質にするかが課題なのですから、真逆です。

「人を幸せにし、社会をよくするイノベーション」を

名和 味の素が「食と健康の課題解決企業」というパーパスを貫いていることを示す具体例を、何か挙げていただければと思います。

西井 一例として、日本の各地域の取り組みがあります。厚生労働省がずっと、各都道府県に対して、食と健康についての調査をしていまして、その結果が年に一回発表されます。「東北三県は塩分摂取量が著しく多いので、健康寿命を延ばすためにもっと減塩しましょう」とか、各地域の改善すべき点が通信簿のように示されるのです。

構成 編集長 前原政之
撮影 中村ノブオ


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本記事は、月刊『理念と経営』2022年7月号「巻頭対談」から抜粋したものです。

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