『理念と経営』WEB記事

「何ができるか」より、 「何をしたいか」を

金子コード株式会社 代表取締役社長 金子智樹 氏

昭和期には多くの家庭で見かけた黒電話。電話本体と受話器とを繋ぐコードの製造を祖業に持つ金子コード(東京都大田区)は、コードレス電話、携帯電話の普及といった外部環境の激変に直面するたびに柔軟な発想力で新規事業を開拓してきた。その「挑戦の風土」に宿る同社のDNAを追った―

海外赴任で学んだ「スピード感」

今年2月。東京・大田区の金子コード本社の一角に「HALPREMIUM(ハルプレミアム)」というショールーム兼ショップが誕生した。「HAL CAVIAR(ハルキャビア)」と名づけた自社商品の国産キャビアをはじめ、オープンイノベーションで生み出した、伝統工芸を今に活かす皿や器などが並べられている。

創業は1932(昭和7)年。もともとはシェア8割を誇る電話コードのメーカーだった。

電電公社(日本電信電話公社)の民営化、コードレス電話や携帯電話の普及など外部環境の激変に見舞われるたびに、柔軟な発想で新規事業に取り組み、危機を乗り越えてきた。国産キャビアは「挑戦こそが自社の風土だ」という3代目、金子智樹さんの新たな取り組みなのである。

―「『一代最低一新規事業』が自社のDNAだ」と仰っていますね。

金子 はい。創業80周年の時に会社の歴史を掘り下げてみたのですが、祖父の代からどんどん挑戦し困難に果敢にトライしているんです。その時、改めてそう思いました。ちょうど私が入社した時も、父が新規事業を起こそうとしていて、その姿も見ていました。

―入社は何年ですか?

金子 90(平成2)年です。私は大学を卒業してすぐ入社したのですが、電電公社の民営化から5年目くらいでした。電機メーカーがこぞって電話機をつくり出したことで、当社のシェアが崩れていったのです。そのうえコードレス電話が出るという話もあって、先行きが読めない時でした。事実、当社はその翌年に創業以来初めて赤字を出したのです。

―厳しい現実ですね。

金子 大変でした。そんな緊張感のなかで父は新規事業に取り組んでいたのです。私は、その様子を横目で見ながら、本業の電線のほうを立て直そうと営業にまわっていました。

―シンガポールに赴任されたとも聞いています。

金子 入社4年目です。父がシンガポールで合弁会社をつくって、その責任者として「お前、行け」と言われたのです。何をやればいいのかと聞けば、「そんなの、お前が考えるんだよ」と。自分で考えてビジネスをつくれということだったんですね。今考えると、父は私がどれだけやれるのか、あえて谷底に突き落としたのだと思います。
当時は電線しか知らなかったので電線を売るしかないと思いました。シンガポールを拠点に東南アジアの各国や中国をまわりました。ところが、日本でつくった電線は高くて売れないんです。向こうは日本の5分の1、6分の1の値段です。

―話になりませんね。

金子 そうなんです。それで希望の価格を聞き、「値段をクリアして1年後にくるので、その時は買ってほしい」と約束を取りつけました。何とかその価格にするために、絶対に大量発注するからと各国の部材メーカーを開拓していったのです。1年後、満を持して各社をまわるとほとんど契約が取れました。

―何年おられたのですか?

金子 3年です。その間に営業的なことや、電線の技術的なこと、製造・生産の流れなども全部、頭に入れました。一番学んだことはスピードです。海外の経営者が求めるのは早さです。値段なども「一度持ち帰って……」などと言っていると契約できません。いい経験になったと思っています。

先代の執念が実ったカテーテル事業

―先代が進めていた新規事業が医療用のカテーテルですか?

金子 そうです。父は商品開発室を立ち上げて2人の若手社員を専従につけました。そこでカテーテルの試作を続けていたんです。

―もともとの発想は?

金子 当社は電話コードの会社です。その自分たちが持っている技術を使って新しいものをつくれないかと考えていました。電線は長細いですし、カテーテルも長細い。最初は「電線に似てないか」ということだったのです。当社には電話コードにビニールの皮膜をつくる技術もありました。それを使えばいけるのではないかということで、父は「どんどんやれ」と資金をつぎ込みました。
当時はアメリカ製のカテーテルしかなかったので、日本人の体に合わせたものをつくれば売れるという目算がありました。実際に今ではメディカル事業部として電線部(当時)を超えるほどの当社のもう一つの柱になっています。

―軌道に乗るまでには時間がかかったと伺っています。

金子 12年くらいでしょうか。新製品の開発はそれができるまではお金を使う一方です。社内に不満が溜まっていきました。

取材・文 中之町 新
撮影   富本真之


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本記事は、月刊『理念と経営』2022年6月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。

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