『理念と経営』WEB記事
人とこの世界
2022年5月号
歳を取ってからの学び直しは自分の未来を拓く

女優 いとうまい子 氏
18歳で芸能界に入り、テレビや映画、舞台で活躍する、いとうまい子さん。現在、早稲田大学院の博士課程で基礎老化学を研究する研究者でもある。人々がパラレルキャリアやセカンドキャリアを考えるようになった時代、“両輪で働く”とはどのようなことなのだろうか?
いとうまい子さんは30歳を前にして大きな気づきを得たと語る。それが人生の転機になったそうだ。
「その時に名前を漢字の伊藤麻衣子から平仮名に変えたんです」
芸能界に関心を持ったのは中学校の文化祭で観た製糸工場で働く少女たちの姿を描いた映画『あゝ野麦峠』だった。感動の涙が止まらなかった。こんなに人を感動させられる仕事があるのかと思った。自分も役者になろうと決めた。
デビューは1983年。アイドル歌手としてのスタートだった。18歳である。アイドル時代、ずっと心に葛藤を秘めていたと言う。
「当時のアイドルはお人形さんみたいに大人しくニコニコしている感じでした。可愛らしくぶりっ子しているなんて、男勝りの私の中ではありえない、すごくつらいことでした」
しかし芸能活動を続けていくなら、そうせざるを得ない。なんとか役者の道が拓けないかと、ドラマ『不良少女とよばれて』のプロデューサーに直接、懇願した。不良少女役は大きな話題になった。だがアイドルで売りたい所属事務所とは溝ができた。
そんなことが積み重なり、23歳の時、「この業界で仕事できなくしてやる」という言葉を背に、事務所を飛び出すような形で辞めた。本当に目に見えて仕事が減った。舞台での芝居の声はかけてもらえたが、雌伏の時代には違いなかった。
「私は見た目が幼い感じなので、大人っぽくすれば仕事がもらえるかなとパーマをかけてみたり、化粧を濃くしてみたりしました。やればやるほど自分らしくなくなって、もっとつらくなる。それでも、まわりに好かれたいとさらにもがく。こういう悪循環の日々が続いていたんです」
つらい20代の終わり、長兄の愛犬であるゴールデンレトリバーのアトムを預かることになった。このアトムが気づきを与えてくれたのだ。
「アトムはお世辞も言いません。まわりに気も遣わない。犬ですから当たり前なんですが、そんな様子を見ていて、生きるってこういうことかもしれないと思ったんです。ありのままの自然体で、自分らしくあればいいんだと、思い知らされました」
まわりに好かれようと思ってやっていたことを全部やめた。それで仕事が一切こなくなれば、それが自分の人生だと肚を括った。改名は、その決意の表れだった。
「社会に恩返しを」————。40代で大学進学を決意する
幸いにも、仕事はなくならなかった。デビュー25周年を迎えた時、いとうさんはこれまで仕事を続けてこられたのは多くの人たちのお陰だと心から思った。
「スタッフやスポンサーの方たちはもちろんですが、スポンサーを支えているのはその会社の商品を買ってくださる人たちですよね。そう考えると、私は本当に数多くの人に支えられてきたんだと思いました。その人たちに恩返しをしないとバチが当たると思ったんです」
芸を磨くことは当然として、もっと違う形で広く社会に恩返しできないかと考えるようになった。そう思っている時に、ある仕事で予防医学の大切さを知り、興味を持った。
「今は新型コロナウイルスの影響で病気を予防することの大切さを多くの人が知ったと思います。でも、当時はあまり知られていなかったんです」
予防医学を学んで世の中に伝えられたら社会への恩返しになる。そう思って調べると、予防医学は早稲田大学人間科学部で学べることがわかった。eスクール(通信教育課程)を受験し、大学生になった。45歳での新しい挑戦である。
オンライン授業は好きな時間に受講でき芸能活動にも支障は少なかった。大変なのは毎週日曜日23時59分締め切りのレポートだったという。
「その週に受講した講義のレポートを出すのですが、日曜日のその時間にネット受付が終了するんです。遅れそうになると、“何のために勉強を始めたんだ。恩返しだろう”と自分を奮い立たせて仕上げました」
締め切りギリギリまで持ち越してしまうと落とすかもしれない。ある時から金曜日までにレポートを仕上げることを自分に課した。だが、期末テストやロケなどが重なると悲惨だった。何日も徹夜を続け、ストレスから帯状疱疹になったこともある。
しかし、新しいことを学ぶのは本当に面白い、と彼女は言う。
「学び直しは、やりたいと思った時がその時なんです。私たちって先のことは少し不安になって踏み出す前にマイナスな条件をいっぱい数えがちですが、軽く踏み出せばいい。それで駄目だったら戻ればいいんです。だけど、歳を取ってからの学び直しは自分の未来を広げてくれます。これは私の経験からも言えます」
東京大学の研究室で回収した細胞を遠心分離器に入れる準備をする様子
取材・文 鳥飼新市
写真提供 株式会社マイカンパニー
本記事は、月刊『理念と経営』2022年5月号「人とこの世界」から抜粋したものです。
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