『理念と経営』WEB記事
企業事例研究1
2022年5月号
常に自ら考え、「主体性」を発揮できる会社をつくりたい

松山油脂株式会社 代表取締役社長 松山剛己 氏
家業に戻った松山剛己社長は、大手石鹸メーカーの下請けビジネスからどうやれば抜け出せるかを模索していた。提案型のOEMで小さな成功を重ね、満を持して開発した自社ブランドは徐々に知れ渡り、いまでは多くのファンを獲得するまでになった。丹念につくる、そのつくり手の思いを伝え続けてきた松山社長の経営哲学に迫る。
もっと磨けば、何かできるはず
創業は1908(明治41)年。戦前・戦中は石炭などの燃料を扱う小さな商社だった。石鹸製造に事業転換をしたのは、戦後すぐの46年(昭和21)年のこと。やがて大手石鹸メーカー数社からの受注生産に徹するようになった。そんな下請け体質を破り、自社ブランドの開発を成功させたのが、5代目の松山剛己さんだ。大学卒業後、大手広告代理店の博報堂を経て三菱商事に転じ、30歳の時、松山油脂に入社した。1994(平成6)年のことである。
―家に戻ろうかと言った時、先代に叱責されたそうですね。
松山 そうなんです。父は烈火のごとく怒りました。「町工場をなめるな。安易な気持ちで戻ってきたら、とんでもないことになるぞ」って。
その意味合いは2つあったと思います。1つは私の中途半端な気持ちに対する叱責。もう1つは、いまさら戻ってこられても困るという思いです。誰にも迷惑をかけないように自分の代で穏やかに廃業しようというのが、父の本音だったと思います。
―その廃業の決断が家業に戻るきっかけだったと伺っています。
松山 はい。私はもともと起業家になりたいと思っていて、博報堂の頃から副業として自分で会社をいくつかやっていたのです。それができたのも、失敗しても実家に帰ればいいという気持ちが漠然とあったからで、その実家がなくなってしまう。これはなんとかしなければと思いました。
ちょうど三菱商事で芳しい成果を出せなくて悩んでいた時でもありました。父には、1年よく考えて、気持ちが変わらなかったら入れてやると言われました。
―そうして1年後の94年1月に入社されるわけですね。
松山 専務として入社したのですが、商社時代に比べると年収は激減しました。
1年間は工場で石鹸を焚くことも条件でした。
―100時間かけて焚き上げる「釜焚き製法」という昔ながらのつくり方を経験したのですね。
松山 はい。徐々に「これは面白い」と思うようになりました。固形石鹸の原料は中性の動植物油脂と強アルカリの苛性ソーダです。これらはキロ当たり数百円ですが、石鹸になると価値は10倍にも20倍にもなります。インプットはミニマムで、アウトプットはマキシマムなのです。
―昔ながらの製造方法に自社の強みも感じていたわけですか。
松山 担い手が減っている、コアな技術であることは間違いありません。手仕事の職人技でもあります。職人が技術に酔ってはいけないと思うのですが、手づくりの丹念さや品質の高さをお客様に訴求するなら、強みを磨けば何かできるにちがいないと思っていました。
―その技術に誇りはあったと?
松山 もちろんです。そのコアな技術と一緒に働く仲間に可能性を感じたから、戻ってきたのです。
結果をつくれば、会社は変わる
―入社した当初から下請け脱却を模索し始めますね。
松山 当時の売り上げは4億円でした。すでに東南アジアなどから安い石鹸が入っていました。いつまで安定した受注が続くかわからないという危機意識がひとつです。
―その危機感は先代の廃業という決断の要因かもしれませんね。
松山 そうだと思います。しかし、一方の私は自分の主体性を発揮したビジネスをしたいという思いがありました。下請けは、何をどういくらでつくるかといった重要な意思決定ができません。それを変えていきたいと思ったのです。
―社員のみなさんからは反対されたようですね。
松山 廃業に向かって進んでいましたからね。あと5年、10年で退職という人も多く、30年先の会社のことよりも5年後の退職金のほうが心配なのです。自社ブランドを出すことは、OEMの得意先企業と喧嘩することと同じです。新しいリスクを負うようなやり方は受け入れ難かったのだと思います。父も同じで、すんなりとは許してくれませんでした。
―そうした意識を、どう変えていかれたのですか。
松山 小さい成功を積み重ねていきました。まず実行したのが提案型のOEMです。自分たちがいいと思った製品を小規模な企業に提案して、1万個、2万個といったまとまった注文をいただく。そういうコラボレーションをしていきました。これはリスクも少なく、100万円単位で入金がありました。そのかたわらで、自社ブランドを立ち上げていったのです。
―基幹となる「M-mark series(Mマークシリーズ)」ですね。
松山 第1号の製品ができたのが95(平成7)年。当社のコア技術を前面に出した「無添加せっけん」です。工場内ですることが山ほどあったのですが、週1回、金曜日は外回りに出ていいということで、営業に歩きました。行った先は渋谷のロフトと東急ハンズ。そしてナチュラルハウスの青山店です。
営業先を絞ったのは、どの店も製品に個性があり、現場に権限があったからです。私たち小さなメーカーは問屋を通さないとそれらの店のバイヤーに会うことができません。それで売り場のスタッフに石鹸を渡し、「天然の保湿成分が入っているので顔を洗ってもつっぱりませんよ」とひと言添えていました。実際に使っていただいた声がバイヤーに届き、95年10月、ロフトの棚に当社の石鹸が並ぶことになったのです。
取材・文 中之町 新
写真提供 松山油脂株式会社
本記事は、月刊『理念と経営』2022年5月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。
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