『理念と経営』WEB記事

わくわくドキドキを創る建設会社でありたい

株式会社小田島組 代表取締役 小田島直樹 氏

従来の固定観念やしがらみにとらわれない事業展開や働き方改革を次々に推し進め、いま注目を集めているのが株式会社小田島組(岩手県北上市)である。自社を“業界のファーストペンギン”と称し、陸奥から発信し続けてきた小田島直樹社長の地方創生戦略――。。

新社屋「KITAKAMIO2」に込めた思い

岩手県の南西部に位置する、人口約9万人の北上市。そこに斬新な働き方改革で知られる建設会社がある。小田島組である。

2018(平成30)年に完成した新社屋は、グリーンの壁に引かれた幾筋もの白のストライプと同じく白字で書かれた「KITAKAMI O2(キタカミ オーツー」の文字が目を引く。建坪は300坪。1階のオフィスは透明なガラスの仕切りがあるだけの広いワンフロアなのだという。

オフィスで働く社員たちは、みんなお揃いのTシャツだ。「このTシャツがウチの唯一のドレスコードです」と、二代目社長の小田島直樹さんは笑った。

————席はフリーアドレスで、しかも毎朝クジで決めるそうですね。

小田島 ええ。僕も毎日部署を変え、クジを引いて席を決めています。僕は現場(実際の業務)を見ることができていいのですが、口うるさいので社員たちは超イヤがっています(笑)。

————でも社員たちは「直樹さん」と呼んでいると聞いています。

小田島 僕だけでなく、8、9割はファーストネームで呼んでいます。小田島もそうですが、佐藤、高橋も何人もいるんです。それと「さん」づけしているのは、更迭が多い会社だからです。

————更迭、ですか?

小田島 結構あるんです。ウチは会社のルールがすごく厳しいし、厳罰もあります。要は、みんな自由でいたい。それなら、その自由を保証してくれる決まりを守ろうよ、ということです。自由と好き勝手、野放図は違いますから。

————よくわかります。

小田島 そのルールに則[のっと]って更迭もあるんです。僕は「ヒト」、つまり人格ではなく、「コト」で人間を評価したいんです。よくないコトをやれば徹底して叱るし、いいコトをすれば褒めちぎる。実際に明日から降格ということもあるし、降格されてもまた上がってくる。そんな会社なので肩書きで呼んでいると、しょっちゅう呼び方も変えないといけなくなる。だから「さん」づけ。これは徹底しています。みんなも肩書きで呼ぶよりも親しみが持てていいようです。

————新社屋に書かれている「O2」は、どういう意味ですか?

小田島 一つは僕が小田島組の二代目だからということなんですが、それに酸素のO2を掛けてあるんです。僕はO2を学びの場にしたいと考えています。酸素は人間が生きていく上でなくてはならないものです。それと同じで、学ぶことも人間にはなくてはならないものだと僕は思うんです。私たちは学ぶことを止めたら死んだも同じだ。学ぶこと、向上することを常に続けていようという願いを込めてあるんです。

————だから、いろいろなセミナーも開かれているわけですね。

小田島 そうです。測量や3DCADソフト操作方法、また銀行の人を呼んでマネーセミナーを開いたり、変わったものではヨガ教室やダンス教室などもやりました。

社員のスキルアップの支援や学びの環境をつくるためですが、市民の方たちにも参加してもらっています。1階のエントランススペースは地域の方たちに開放していて自由に使えるようにしているんです。高校生なども放課後に立ち寄ってくれています。大人が働いている姿が見えにくくなった時代だからこそ、僕は若い人たちが僕らの働いている姿を見てくれたらいいなと思っているんです。

地元のしがらみを捨て仕事を取りに行く

小田島組は1970(昭和45)年に父親の敏夫さんが創業し、土木工事を中心に国や県、市などの公共事業を請け負ってきた。県内では中堅の建設会社である。

小田島さんは、大学卒業後、5年間、大手建設会社で働き、27歳の時に戻ってきたという。

————社長を継がれたのは?

小田島 2003(平成15)年、38歳でした。バブルが弾けて5年くらいです。経営の先行きが見えなくなった時代というのか、父親も疲れたのかもしれません。「お前やれ」ということで、僕も能天気に「じゃ、やろうか」と(笑)。

————しばらくして転機を迎えられたと聞いています。

小田島 社長になって5年目です。初めて赤字が確定したんです。ウチは公共事業が100%です。ずっと僕は社員たちの方を向かずに、同業の社長仲間の方ばかり向いていたんです。建設業協会の親分についてヘイコラしていた。それで仕事が入ってきたんです。

————いわゆる談合の構造ですね。

小田島 そうです。ところが、その公共事業自体が少なくなってきたわけです。どうすればいいのか悩みました。経営の先輩のところに相談にも行き、思い切って地域や仲間のしがらみを捨てて仕事を取りにいこうと決めたんです。

取材・文 中之町 新
写真提供 株式会社小田島組


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本記事は、月刊『理念と経営』2022年4月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。

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