『理念と経営』WEB記事

創業の思いを受け継ぎ、地域の人々の心をつなぎ続ける

有限会社もしもし 代表取締役 五来恒子 氏

伝統あるコミュニティ情報紙が直面した苦境。紙媒体の斜陽に、コロナ禍による広告激減が拍車をかけたのだ。会社を両親から受け継いだ2代目は、デリバリー事業への挑戦で起死回生を図る。そこから生まれた、「地域の絆」再生の物語。

両親が信頼の積み重ねで築いてきた、伝統の情報紙

東京都下の4市(稲城市・多摩市・八王子市・町田市)にまたがる、人口約22万人の広大な「多摩ニュータウン」――。そこに根を張り、コミュニティ情報紙(フリーペーパー)『もしもし』を発行するのが、有限会社もしもしだ。ニュータウンおよび多摩市全域に配布し、9万4000部の発行部数を誇る。

1985(昭和60)年に同紙を創刊したのが、五来恒子社長の母・長谷川豊子さんだった。きっかけは、一家が多摩ニュータウンに入居して間もなく、団地で起きた悲しい一家心中。直接の知人ではなかったものの、家族構成が近かったこともあり、豊子さんは強い衝撃を受けた。「自分にも何かできることがあったのでは?」―そんな思いに駆られて悩んだすえ、ニュータウンの人々の心をつなぐ新聞を作ろうと決めた。団地の一室で、見よう見まねの新聞作りがスタートした。

当初の紙名は、『奥さまもしもし新聞』。夫が仕事に出かけたあと、ニュータウンの妻たちが孤独に陥らないよう、心の扉をノックする思いを込めた。

「当時、母は営業・執筆・編集を一人でこなしました。最初の3年間は赤字続きでした。実績のないメディアに広告を出そうという人が少なかったのでしょう」

軌道に乗り始めたのは、5年目くらいからだ。10年目の95(平成7)年にはそれまで月3回だった発刊ペースを週刊にし、部数も10万部(創刊時の5倍)に到達。スタッフも増えた。発展を支えたのは、誠実な振る舞いと丁寧な新聞作りで、地域の人々から得た信頼の積み重ねだった。

五来さんへの事業承継は、2019(令和元)年10月のこと。約20年前から『もしもし』の営業スタッフとして働いてきたが、両親から「会社を継いでくれ」と言われたことは一度もなかった。決断は、五来さん自らがしたのだ。

「会社を継ぐ決意を打ち明けたとき、母から言われたのは『大変だよ』のただ一言でした」

承継後、五来さんはその大変さを身をもって知ることになった。


地域の人々の心をつなぐフリーペーパー『もしもし』

隔週刊化を決断したことが、コロナ禍で会社を救った

社長就任後、五来さんはまず、懸命に学び始めた。

「経営者としては新米で、わからないことが多かったからです。都の中小企業振興公社主催の勉強会とか、無料で学べる機会を片っ端から利用しました」

財務などを学べば学ぶほど、自社の置かれた危うい状況がはっきり見えてきた。

取材・文/前原政之
写真/編集部


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本記事は、月刊『理念と経営』2022年4月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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