『理念と経営』WEB記事
挑み続ける
2022年3月号
目的に向かって進め。 どんな困難も失敗ではなく、プロセスに過ぎない

萩大島船団丸・株式会社GHIBLI代表 坪内知佳 氏
衰退の一途を辿っている日本の一次産業。そこへ「漁業革命」を巻き起こす、農林水産省の六次産業化支援プログラムの認定第一号事業となった国内初のモデルを生み出した女性がいる。逆風下のなか、今もなお挑戦し続ける坪内さんの熱量と“強さ”に迫る。
「たとえ明日死んでも後悔しない生き方をしたい」
偶然の出会いによって人生が決まる。そんな不思議な瞬間がある。坪内知佳さんと萩大島の漁師たちとの出会いが、まさにそうだ。
萩大島は、萩市(山口県)の沖にある人口700人ほどの小さな島である。古くから漁業で栄えてきたが年々漁獲量が減り、最盛期の半分ほどになっていた。なんとか活路を見出したい。萩大島のまき網漁の漁師たちを率いる長岡秀洋さんから、
「あんたパソコン得意やろ。俺らの未来を考える仕事、手伝ってくれんか」
と、声をかけられた。2010(平成22)年1月のことである。
当時、坪内さんは24歳。萩に嫁いできたが離婚をし、シングルマザーになった。そのまま萩の地で、子育てをしながら得意の英語を活かして翻訳や企画の仕事で自活していこうと一歩を踏み出したばかりの頃だった。
もちろん漁業のことはまったく知らない。だが、なにか運命的なものを感じた、と話す。
「私は人生ってすべて与えられていると思っています。人生に意味のないことは起きないと言いますが、このとき“これをやりなさい”というご縁を与えられたと思ったんです」
そう考えると、それまでの半生に起こったことにすべて合点がいったという。
坪内さんは、福井県の生まれである。小さなときはよく高熱を出し、しょっちゅう入院していたそうだ。検査をしても原因がわからなかった。偏食も激しく、小学校に入学すると給食を食べるのに苦労した。
その原因がわかったのは、大学生になってからだ。19歳のある日の朝、高熱で起き上がれなかった。その後も高熱が続いた。いくつも大きな病院で診てもらったが、やはり原因がわからない。ところが、ある病院で驚くべき宣告を受けたのだ。
「悪性リンパ種の疑いがあります。もしそうだった場合、余命は半年です」
耳を疑った。さらに精密検査を続け、ついにEBウイルス感染症、および化学物質過敏症であることがわかった。EBウイルス感染症は稀に白血病やリンパ腫と非常に似た症状が出ることがあるそうだ。小さい頃からの発熱や激しい偏食の理由も腑に落ちた。
「この余命宣告は非常に大きな私のライフイベントだったと思います」
あと半年で自分のいのちがなくなると言われた恐怖は生涯忘れることはできない、と坪内さんは言う。
「自分が死んでも何も残らない。世の中にいた事実さえ消える。私が生きる意味って何だろうと考えるようになったんです。こうしたむなしさと恐怖を経験したからこそ、たとえ明日死んでも後悔しない生き方をしたいと思うようになったのだと思います」
萩大島の漁師たちの挑戦に自分も飛び込もうと決めたのは、そこに自分が生きた証を刻める、やり甲斐を見つけたからだった。
淡々と手を打っていくと、少しずつ道は切り開かれる
ちょうど農林水産省の「六次産業化・地産地消法」に基づく認定事業者の申請受け付けがスタートしたときだった。萩大島でも獲った魚の流通・販売まで自分たちでする六次産業化の事業計画書を出そうということになった。
任意の漁師集団「萩大島船団丸」を結成し、パソコンを使えるという理由だけで坪内さんが計画書作成を任された。農林水産省の担当者とやり取りしながらなんとか一人で書き上げた。その努力が実り、萩大島船団丸は中国・四国地方での認定事業者第一号になった。この流れで代表にも推されてしまった。
まず始めたのは、獲れたばかりの魚を詰めた「鮮魚BOX」の直販売だ。船団丸内でのコンセンサス作り、漁協の反発への対応、売り先の開拓など、「鮮魚BOX」が軌道に乗るまでも、数々の壁があった。
海で働く男の声は大きい。船団内の議論は、ときに縮みあがりそうな大声が響く。なかでも長岡さんとは意見が違うと、つかみ合い寸前になることもしばしばあった。しかし、自分が正しいと思ったことは譲らなかった。
売り先の開拓にも一人で出た。朝、長男を24時間の保育園に預け、始発の新幹線で大阪に向かう。1日4軒という目標を課して和食店や居酒屋を歩いてまわった。交通費を節約するためだ。その頃、坪内さんの足のツメは歩き過ぎてすべて剥がれていたという。
だけど、一歩も退かなかった。
「つらいと思ったことはありません。みんな自分がやるべきことだと思っていましたから」
事業を始めた当初、なかなか軌道に乗らず、漁師たちの3分の2が脱退した。それでも希望をなくさず、歩みを進めた。5000万円もするまき網が破損したときも、慌てず落ち着いて対処を考えた。
冷静に問題を見つめ、淡々と手を打っていくと、自分の目の前で少しずつ道が切り開かれていく気がする——。坪内さんは、ずっとそう確信して生きてきたのだ。
「何かアクシデントが起こっても、それは失敗ではなくプロセスだと思うんです。目的に向かって進むのをやめなければ、0.001ミリでも前に近づいているんです。それは絶対に失敗ではありません」
そんな姿勢が、いつしか漁師たちから絶大な信頼を得ることにつながっていった。
14(同26)年には、任意団体の萩大島船団丸を基盤に株式会社GHIBLIを設立した。萩大島船団丸の「鮮魚BOX」の販売を柱とした鮮魚部門、自分たちの取り組みの視察に対応するための旅行部門、これからの水産資源の活用や環境保護を考えいく環境部門、六次産業化のノウハウを広げていくコンサル部門の4部門を作った。
「これらも計画書に書いたことでした。自分で作った計画を着実に進めていったわけです」
GHIBLIとは、サハラ砂漠から地中海に向けて吹く、熱風のことだという。そこには、自分たちの海への熱い思いを人々へ届けたいという願いがあるのだろう。
「実は、GHIBLIって、イタリアの戦闘機の名前でもあるんですよ」
なるほど。この名前には海を汚すものと闘おうという強い意志も隠されているようだ。
萩大島から見える海景色。大学1年生のとき、透き通る日本海と青い空を見て、坪内さんは「ここに長く暮らすことになるかも」という予感を覚えたという
取材・文 鳥飼新市
写真提供 株式会社GHIBLI
本記事は、月刊『理念と経営』2022年3月号「挑み続ける」から抜粋したものです。
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