『理念と経営』WEB記事
企業事例研究1
2022年2月号
良い商品を作り、 良い売り方で売れば、 企業は永続できる

三島食品株式会社 代表取締役会長 三島 豊 氏
いまや全国区となった「ゆかりⓇ」シリーズをはじめとする独自の商品展開で、後発メーカーでありながら、ふりかけ業界に旋風を巻き起こしてきた三島食品(広島市)。創業者である父の教えを受け継ぎ会社を成長発展させてきた経営の原理原則とは―。
「宣伝に金を使うな。材料に使え」
鰹の旨味いっぱいの「瀬戸風味Ⓡ」や赤しその香り豊かな「ゆかりⓇ」などで知られる三島食品。1949(昭和24)年に、創業者の三島哲男氏が広島市で食品製造販売業を始めたのがスタートだった。
3年目にふりかけを作り始めてからは、主婦のために量はかり売りをしたり、給食用の小袋詰めを発売したりするなど、地道な努力と工夫を重ね、会社を全国区の食品メーカーに育てた。「良い商品を良い売り方で」が口癖で、これが今に続く同社の基本方針になっている。
―創業者は、なかなかのアイデアマンだったようですね。
三島 確かに、あまり既成の枠にとらわれなかったですね。広島の山奥の出身で、戦後になって、戦前から勤めていた乾物の仲卸の主人に「そろそろ独立して問屋をやるか」と言われたそうなんです。だけど、自分はメーカーをしたいからと、それを断ったようです。
―メーカーになるという強い思いをお持ちだったわけですか。
三島 ええ。ずっと問屋にいて、同じ商品でも人によって値段を変えたりするのを見てきて、それは自分の性に合わない。物を作って売るのなら、一物一価の法則でいけるのではないか、そういう気持ちがあったようです。
最初に作ったふりかけは「辨当の友」というんです。当時は「遠足の友」や「旅行の友」「御飯の友」など、ふりかけといえば「○○の友」という名でした。広島だけでも20社くらい、ふりかけを作っている会社があったそうです。
―そんなにも、ですか。
三島 後発のメーカーでしたから、地方の問屋さんや小さな八百屋さんなどを回って地道に売っていったようです。当社の主力商品に赤しそを原料にした「ゆかりⓇ」があります。それまで、ふりかけといえば魚が中心だったのですが、「ゆかりⓇ」は野菜を使った初めてのふりかけです。これも最初はぜんぜん売れませんでした。
―売れるきっかけは何かあったのですか?
三島 学校給食です。給食に採用されたのがきっかけで売れ始めるようになりました。今では売り上げの約3分の1を占めています。
―それはすごい。創業者は「宣伝に使う金があれば材料に使え」とおっしゃっていたそうですね。
三島 いつも言っていました。なんと言っても、当社の基本方針が「良い商品を良い売り方で」ですから。それともう一つ父親が遺したのが「楠」の経営理念です。
―樹木の「楠」ですか?
三島 そうです。樹齢が一番長いとされているのが佐賀県川古(武雄市)の楠で、3000年と言われています。つまり、父親は楠のように「永続する企業にしてくれよ」という宿題を遺していったわけです。
経営に対する考えがガラッと変わった瞬間
―入社は81(同56)年ですか。
三島 そうです。私は、工学部の大学院を出て、京都セラミック(現・京セラ)に勤めていたんです。3年目でした。「息子には継がせん」と言っていた父親が、突然「帰ってこい!」と言うんです。兄もいるんですが、どうして私なのかを聞くと、「お前は〝がんぼ( 利きかん坊)〟じゃけ」と言いました。それで戻ったわけです。
― その3年間で(京セラの)稲盛和夫さんから学ばれたことってありましたか?
三島 私が入社した頃は、まだ従業員が3000名くらいの頃でした。稲盛さんが必ず忘年会にきていた時代です。やはり人間的魅力がありましたね。学んだことは「考えて考えて、考え抜け」ということです。例えば、ある仕事について「どうしたらいいかずっと考えていたら、それが潜在意識に落ちる。
潜在意識に落ちたら、守護神がその仕事を助けてくれる」。そう言うんです。当時はまったく意味がわかりませんでしたが、専務になった頃でしょうか。この言葉の意味がわかるようになりました。
―と、言いますと?
三島 私は入社してからそれまでは、いわばずっとスタッフ部門にいたわけです。そこには、良い情報しかこないんです。ところが、ラインの要である専務になる(86年)と、悪い情報がくるのです。あれも処理しなければいけない、これも手を打たなければいけない……ということになり、正直、精神的にまいっていた時期がありました。
そんなとき、偶然、中村天風の『成功の実現』という本を読んだんです。それには「積極的に考えろ」「前向きに考えろ」「思っていることは必ず実現できる」と書いてありました。目の前にずらっと課題が並んでいたときです。
―はい。
三島 松下幸之助の言葉に「100個問題があったとしても、考えるのは1つしかできないので、その時点では1個の問題しかない」というものもあったと思い出し、どれでもいいからまず1個の問題を解決してみようと思ったのです。どうせ解決するならエレガントにやろうと、上から見たり横から見たり、時間軸で見たり……。
―稲盛流に「考えて考えて、考え抜かれた」わけですね。
三島 そうなんです。一つの問題をなんとか根本原因までつかんだ上で解決し、こうして1個1個潰していくと、たくさんあった問題が3つ目くらいで全部解決したんです。結局、多くの問題は根っこが同じでそこから派生していたんですね。
ああ稲盛さんが言っていた徹底的に考えるというのはこういうことかと腑に落ちました。私自身の経営に対する考え方がガラッと変わった瞬間でした。
社員の自発性を育む「B面活動」とは
広島市の本社工場の正門脇に見上げるような楠が豊かな葉を繁らせている。1983(同58)年、創業35年を記念して、樹齢35年の楠を植樹したのだ。
そして91(平成3)年には創業者の生家跡地に、ふりかけ資料館を併設した、理念のモニメント的施設である「楠苑」が完成した。創業者はこう言ったそうだ。
「わしは銀行から金を借りてこれを作った。(金は)お前、返せよ」
三島さんの社長就任は、その翌年のことだったという。
取材・文 中之町 新
撮影 手島雅弘
本記事は、月刊『理念と経営』2022年2月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。
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