『理念と経営』WEB記事

仲間たちの言葉で社長としての覚悟が定まった

株式会社ワイ・エス・エム 代表取締役 八島哲也 氏

先代社長の急逝により、20代で経営を任された2代目。自己破産まで考えた逆境を乗り越え、自社ブランド照明が海外で高く評価されるまでになった。その逆転劇を支えたものとは―。

経営のいろはも知らぬまま、ある日突然、社長に就任

叔父が創業した町工場であるワイ・エス・エムに、現社長の八島哲也さんが入社したのは、2004(平成16)年のこと。元々ものづくりが好きで、中学から大学まで工業系私立一貫校に学んだ八島さんにとって、うってつけの職場だった。

照明器具や建築金物を扱ってきたワイ・エス・エムは、配線などの電気系技術と板金加工技術を高レベルで併せ持つことが強み。当時は最高売り上げが2億円に達するほど順風満帆であった。

「忙しくなったから、お前の友達で手伝ってくれる人を探してくれ」と叔父に頼まれ、同じ工業系学校に学んだ友人たちをバイトに誘った。そこから社員登用されたのが、現在一緒に働いている矢口隆一さん、菅原健一郎さんの2人だ。

「2人と僕は、中学時代からの親友なのです」

ところが、あるトラブルから、最も大きく依存していた元請け先に契約を切られてしまった。その上、リーマン・ショック(2008年)後にやってきた業界の不況が追い打ちをかけ、仕事が激減した。

「当時の僕は一板金職人で、経営には関わっていなかったので、その苦境を知りませんでした」

ところが、10(同22)年10月、叔父が急逝。八島さんが後継社長とならざるを得ない状況になった。当時、まだ29歳。経営のことなど何ひとつわからなかったし、叔父から何も引き継ぎをされていなかった。

「経営のこと以前に、請求書と納品書の違いさえわからなかったほどです」

現状から逃げていたのは自分だけだった……

資金繰りの苦境にも、いきなり直面した。債務超過一歩手前の深刻な状況だった。「銀行からの借り入れ以外にも、先代が知人から借金していたり、社会保険料や税金の滞納もあったり……」負債総額は1億円近く。毎月、資金ショートすれすれの状態で綱渡りをしていた。

「当時は毎日資金繰りのことばかりが頭にあって、笑ったことがなかったですね。月末がくるのが嫌でした。どうやって給料を工面しようかとか、取引先に何と言って支払いを待ってもらおうかとか、そんなことばかり考えてしまって……」

そうした状況に追いつめられ、「会社を畳んで自己破産しよう。そうすれば楽になれる」と考え始めた。

「その考えをまず妻に打ち明けたら、妻は『どうなっても私はあなたについていくから。家族で力を合わせてやっていきましょう』と……。次に、菅原と矢口に打ち明けたところ、2人は『まだ、できることを全部やり切っていないだろ? やり切って、それでもダメだったら会社を畳むのもいいけど、もう少し頑張ってみようよ』と言ってくれました」

その言葉を受け止めたとき、八島さんはハッとした。

「当時の僕より、2人の仲間や妻のほうがよっぽど腹が据わっていたんですね。逃げていたのは僕だけでした。そのことに気づいて恥ずかしくなりました」

そのとき、八島さんの中で一念の転換が起きた。「会社の再生に向けて、できることから一歩ずつやっていこう」と、覚悟が定まったのだ。

取材・文 前原政之
撮影 編集部


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本記事は、月刊『理念と経営』2022年1月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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