『理念と経営』WEB記事

「粗餐(そさん)」の喜び、「飽食」の悲しみ

無言館館主・作家 窪島誠一郎 氏

一冊の小さな手帖に書きこまれた言葉

私の営む戦没画学生慰霊美術館「無言館」(長野県上田市)には、先の日中戦争、太平洋戦争に出征し戦死した画学生の遺作、遺品、書簡など約600点が展示されているのですが、そのなかでひときわ来館者の眼をひいている資料の一つに、1943(昭和18)年9月に東京美術学校(現・東京藝術大学)の鋳金科を繰り上げ卒業し、1945年フィリピン・クラーク地区で25歳で戦死した画学生 小柏太郎がのこした一冊の小さな手帖があります。

「無言館」にならべられている小柏の作品は、どこか理知的な額に特徴のある外国婦人の横顔のレリーフと、今まさに天高く飛び立たんとする天使の姿を形取った作品「天女の像」の2つなのですが、のこされた手帖にはそうした作品の制作に関わるメモやスケッチは一切記されておらず、そこには小柏が戦地で思いうかべていた「食べたいもの」の一覧が、まるで番付表のようにぎっしりと書きこまれているのです。

ゾーニ ボタモチ テンプラ ウナギ 支那料理 サンマ アベ川 キントン ツケ焼 ドーナツ スキ焼 羊カン 五月飴 シルコ 玉子焼 干柿 赤飯 ホットケーキ 親子丼 ノリツケ焼モチ パン類 コーヒー コー茶 果物類 アンコロモチ カレー スープ(コンソメ) カツ(牛・豚) 天プラソバ 菓子類 センベイ類 飴 フライ 寿司 ウドン アップルパイ 焼イモ ハム ソーセージ コロッケ キスノ天プラ マカロニ カレーソバ ビフテキ ナベヤキウドン 正月用オニシメ類 玉子ゾーニ 肉ナベ ゼンザイ テリヤキ チキンライス 焼ソバ 蛤ナベ サンドイッチ キンツバ ゼリー ポテト ソバガキ 納豆 カキフライ エビフライ メンチボール 甘酒饅頭 肉饅 肉ノ醤油ツケフライ以上、計65品。

手帖には、心ならずも絵筆を銃にもちかえて出征せねばならなかった一画学兵の、いわば今わのきわの脳裡のなかを占領していた「食べ物」の名がめんめんと書きつらねられているのです。これらは、苛酷な従軍生活での飢えと疲労の極限におかれていた一人の画学生の、ほとんど絶唱といってもいい「食べたいもの」への憧憬の記録であるといってもいいでしょう。

もちろん、この65品の「食べ物」が、すべて小柏太郎の好物だったわけではないかもしれません。なかには当時としてはなかなか手に入らなかった高級食材もありますし、おそらく小柏がまだ一ども口にしていなかった品もふくまれているように想像されます。「テンプラ」と「キスノテンプラ」が重複していたり、「サンマ」の次にとつぜん「アベ川」が登場したり、「ウドン」の隣が「アップルパイ」だったりしている混同ぶりをみると、小柏が熾烈をきわめる戦場にありながら、ただただ思いつくままに「食べ物」を列挙していたことがわかっていっそう涙をさそわれるのです。

ことによると、小柏にとってこうした「食べ物」の名を手帖にメモすることじたいが、極限状態の戦場におけるひそかな歓びであり、明日なき自らの運命を忘れることができる、かけがえのないひとときであったのではないかとも想像します。

そして何より、さぞ「生きて還って作品をつくりたかった」であろう小柏太郎が、最後にのこしたのが一片のデッサンでもスケッチでもない、そのとき頭のなかを去来していた「食べ物」の名であったことに胸をうたれるのです。小柏がこうまで欲していた「食べ物」は、「生きて還って制作したい」という画学生小柏の、絵を描くための切実な絶対的願望だったにちがいないのですから。

 文・窪島誠一郎
 撮影・中村ノブオ


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本記事は、月刊『理念と経営』2021年12月号「特別寄稿 私はこう思う」から抜粋したものです。

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