『理念と経営』WEB記事

“もっと強くなりたい”と、 思わずにいられない

オリンピック スポーツクライミング 女子複合 野口啓代 氏

女性クライマーのパイオニアとして活躍してきた野口啓代選手は、W杯通算21勝を数える当代きってのレジェンドだ。その集大成として臨んだ東京2020では銅メダルを獲得した。闘いを終え、いま去来する思いとは――。

どんな状況であろうとも、
「やるべきことをやるだけ」

――大会前から東京五輪での引退を宣言されていましたね。

野口 スポーツクライミングが東京五輪の新種目になると決まったのは、私が4回目の年間王者となった翌年。すでにワールドカップ優勝や世界選手権のメダルといった目標も達成し、いつまで競技を続けるかをちょうど考え始めたところでした。初めての五輪種目、年齢的にもギリギリいけそう、お世話になった人たちの前でクライミングを披露できれば感謝の気持ちを伝えられる。これだけの条件がそろうなんて奇跡だと思いました。それで、東京五輪を引退の舞台にすることにしたのです。

――しかしながら、新型コロナウイルスの流行で開催が一年間延期となりました。モチベーションの維持ができないなどの理由で参加をあきらめたアスリートも少なくありません。野口さんはネガティブな気持ちにはなりませんでしたか。

野口 私は延期が決まったとき、もう一年好きな競技が続けられるとうれしく感じました。それに、一年あればもっと強くなれる。そのための時間をもらったと逆に感謝したくらいです。実際、実家の敷地内に完成したばかりのプライベートウォールがあって、コロナ禍でも思う存分トレーニングができたので、苦手種目だったスピードのタイムを、一年間で0.6秒縮めることができました。

――その一年の間に五輪開催に対する世間の空気も微妙に変わっていきました。

野口 私は選手なので、五輪は必ず開催されるとずっと信じていました。しかし、開催中止を求める世間の声が大きくなってからは、五輪に出たいという自分の気持ちを人前で口にできず、正直つらかったです。本当に開催できるのかもずっと不安でした。でも、中止にならないかぎり、目標に向かってやるべきことをやるだけ。私はいつもそうやって道を切り拓いてきたので、気持ちが折れることはありませんでした。

――無観客ながらなんとか開催に至った東京五輪では、見事銅メダルを獲得し、有終の美を飾りました。結果には満足していますか。

野口 絶対にメダルを取るという気持ちでがんばってきて、プレッシャーもすごくありました。もっともっと登りたかったし、良いパフォーマンスを見せたかったという悔しい気持ちもありますが、それよりもメダルが取れてホッとしたのと、多くの人に喜んでもらえたといううれしさのほうが、何倍も大きいです。一つだけ残念だったのは、無観客だったこと。できれば会場がお客さんでいっぱいのオリンピックを経験したかったですね。

――感謝の気持ちはじゅうぶん伝わったのではないですか。

野口 はい。これまで私を支えてくれた家族、クライマー仲間、ファンの方々に、心からの感謝をお伝えすることはできたと思っています。

「悔しさ」が成長の原動力に

――優勝したスロベニアのヤーニャ・ガーンブレット選手が野口さんのことを「20年もずっとトップにいるなんてクレージー。だからすごく尊敬している」と言っていました。それだけ長い間第一線で活躍できた秘訣は何なのでしょう。

野口 一つは大きなケガをしなかったこと。もう一つは、やっぱりクライミングが好きだからだと思います。優勝しても、もうあと一手いけた、あの課題を登りたかったという悔しさが残り、もっと強くなりたいと思わずにはいられない。今回の東京五輪でも、そんなクライミングの魅力をあらためて感じました。

取材・文 山口雅之
写真提供 株式会社Base Camp
photo Takuya NAGAMINE


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本記事は、月刊『理念と経営』2021年12月号「特集 2021年を闘った人【東京2020メダリスト編】」から抜粋したものです。

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