『理念と経営』WEB記事

子どもたちの笑顔と社員のしあわせのために

株式会社コマーム 代表取締役社長 小松秀人 氏

「働き続けたいお母さんたちを支援したい」――。小松君恵会長の思いから生まれた同社は、創業以来、四半世紀にわたって産後も女性が働き続ける環境をつくってきた。第二創業の今、母の志と社員が安心して働ける両輪の経営を目指す。

ゼロ歳から18歳までの切れ目のない子育て支援

 埼玉県川口市に本社を置くコマームは、県内を中心に実に多彩な子育てサポートを行っている。
 創業は1995(平成7)年。保育士だった現会長の小松君恵さんが友人と立ち上げたベビーシッターの派遣事業が始まりである。
 仕事と子育ての両立を諦めた自分自身の苦い経験から、働く母親たちを応援したいという気持ちが創業の志だった。だからこそ「あったらいいな」をヒントに、家事支援のライフサポート事業をはじめ事業所内保育、病棟保育、児童館運営など事業を拡大してきた。

――幅広い事業をされていますね。

小松 よく「何屋さんですか?」と聞かれます(笑)。いつも「弊社は保育だけではなく、学童保育や児童館などさまざまな施設を通して産前からゼロ歳、そして18歳までの切れ目のない保育・子育て支援をさせていただいている会社です」と答えています。

――みんな先駆的な挑戦ですね。

小松 そうなんです。すべて母の志の結果だと思いますが、1998(同10)年には事業所内保育を始め、2000(同12)年にはひろば事業、2005(同17)年に病棟保育、2006(同18)年に児童館、2015(同27)年に子育て支援センター、2016(同28)年に学童保育、そして2021(令和3)年には保育所と児童発達支援の複合施設の運営もスタートさせました。
 各自治体や企業の保育施設に質の高い専門的な人材を配置し、きめ細かい丁寧なサービスを提供して、運営を請け負っています。

――入社は何年ですか?

小松 11年前、32歳のときです。アメリカの大学に留学し、ロスで仕事をしていました。妻も日本人なのですが、「子育てするなら日本がいい」と言うので帰国したんです。十数年ぶりの日本で、日本で働くための社会経験の一つとして、母の会社に入りました。

――会社の印象はいかがでした?

小松 母が創業した当時、私は高校生で、その頃は仲のいい友人と何かやっているなという感じでした。その母が100名以上の社員さんから「社長」と呼ばれ、尊敬されているんです。なかなかカリスマ性のある経営者なんだと、驚き感心したのを覚えています。ただ、決算書とか財務諸表を見たときに、よくこれでやってきたなとも思いました。

――赤字だったのですか?

小松 いえ。キャッシュフローはちゃんとしていて借入金もなく、赤字ではありませんでした。ただ利益があまり出ていなかったので何かあったら不安だなと思いました。

――どのくらいだったのですか?

小松 売り上げが3億円ほどで、利益率は2%くらいです。母は数値よりも想いを重要視していました。私はもともと理系だったので財務の面で貢献できるなと思いました。それで、母に「『論語と算盤』じゃないけれど、会社は理念だけじゃなく、理念と経済や経営の両輪が必要だよ」と話しました。「経済なき理念は寝言だ!」と言ってお互いヒートアップした時もありました(笑)。最終的には、母は数字はお願いと、財務は任せてくれました。すぐに会計士さんと相談して、サービスごとの月次会計や部門会計をするようにしたのです。


上手く経営して50点、事業承継で満点になる

――両輪のもう一方、理念、つまり保育の考え方についてはどう学ばれたのですか?

小松 ちょうど入社した頃に、弊社の川口市(埼玉県)での児童館運営の実績を評価いただき、所沢市の児童館運営を受託することになりました。公募への提案づくりから参画し、行政や学校、地域への挨拶回りから、社員の採用や研修、そしてトラブル対応などの運営に関するすべてに一から関わらせてもらいました。
 また、保育学会への参加や、泊まりの保育研修にも社員さんと一緒に参加し、共に学び合う場も持ちました。いまでは所沢市で11館あるうちの児童館を4つと学童保育所を3カ所、子育て支援センターを1カ所、合わせて8つの施設の運営をさせていただいています。所沢市の子育て支援に関わることが、私にとって保育の大きな学びの場になりました。

コマームは「こころ ま〜るく むすぶ」の頭文字だ。会長は社名に「子どもを真ん中に家庭と地域をつなぐ子育て支援の会社でありたい」との思いを込めたという。
 2017(同29)年、同社は渋沢栄一ビジネス大賞ベンチャースピリッツ部門大賞を受賞した。

――渋沢ビジネス大賞の受賞は専務になられた年のことでしたね。

小松 そうです。母の代から私たちは、子どもたちや地域の、そして働く女性の「あったらいいな」に応え、サービスを展開してきました。受賞は、それが一番評価されたと思っています。

――創業25周年の2020(令和2)年に社長を継がれました。後継の決意はいつ頃されたのですか?

小松 実は弟(現・副社長の芳人氏)が私より6年ほど早く入社していました。弟は継ぐ気持ちで入社したと思います。そんな中で私はなかなか継ぐ意思を持つことができませんでした。
創業20周年の年でしたか、母が倒れたことがあるんです。そのとき母は企業というのは上手く経営して50点、次に引き継いで100点になると思ったようです。

――事業承継こそ経営者の責務であると思われたわけですね。

小松 はい。社員さんやその家族が安心して生活を送るためにも事業を継続しなければならない。それで25周年にはバトンを渡そうと決めたんですね。まだ私は覚悟がなく、弟が継いでも構わないと思っていたくらいです。
 腹が決まったのは、専務に就任してしばらくしてからです。中小企業家同友会で経営指針づくりのセミナーを受講し、サポーターとして受講生の支援を3年やらせてもらったのですが、その中で決意が固まったように思います。


取材・文/中之町新
写真提供/株式会社コマーム


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本記事は、月刊『理念と経営』2021年12月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。

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