『理念と経営』WEB記事

稽古場に鏡はいらない― 自己を観る力を養い想像することが観客との間に”オドリ“を生む

ダンサー 田中泯 氏

ある時は俳優として独特の存在感を放ち、またある時は山梨で農業に勤しむ世界的ダンサー・田中泯。多様な顔を持ち、さまざまな場面で活躍する彼に、私たちはなぜ目を奪われてしまうのか。常識や固定観念に囚われず、踊りを追求する田中泯の生き方。

「ただ僕は、最初から上手に踊る気がない。踊っている時の言葉にできない、『好きだ』としか言えない感覚がよかったんです」

 インタビューの後、「少し動いてみましょうか」と田中泯さんは言った。
 東京・中野にあるフリースペース〝plan-B〟。ブロックの壁を背に立った瞬間、場の空気が変わった。
 体を前に傾け、何か遠くを凝視するように見つめる。少ししゃがみ、また体を起こす。左手を額の前に出し、再び前傾していく。実にゆっくりとした動きだ。目は見開いたまま、瞬きをすることがない。田中さんが見つめているものは何なのか。人?あるいは目には見えないものか。否応なく想像がかき立てられていく。

 かつて田中さんは、「自分と観る人との間に生まれる何か。それが踊りだ」と語っていた。短時間だったが、その時、確かに何かが生まれていたに違いない。それは日常を忘れる快い体験でもあった。
 いまや田中泯を独特の存在感のある役者として認識している人も多いことだろう。しかし、彼は世界的に評価の高いダンサーなのである。

 裸体で夢の島(かつての東京都ごみ埋立て場)で蠢き横たわり、歩行者天国や大学のキャンパスなどに現れては踊った。近年は、さまざまな場で感じたまま即興で踊る「場踊り」など実験的な踊りを続けている。
「踊りは人間が言葉を持っていなかった時代からあるわけです。言葉をベースにした表現ではない、体一個の表現なんです。それこそが踊りの特異性です。体の他には一切モノがない。言葉では自分の踊りを表現できない、不思議な表現です」
 言葉に拠らないからこそ記録性もなく、常に 〝いま・ここ〟の一回性である。「そこが自分にとっては最も面白い」と話す。

 田中さんは、1945(昭和20)年3月10日、東京大空襲の日に中野で生まれた。その後、八王子に引っ越し、そこで育った。踊りの原点は地元の神社で観た神楽だったと言う。
「小学校に上がったばかりの頃でした。一発でやられちゃったんです。家に帰ってきても、お囃子の太鼓のリズムや笛の音が消えないんです」

 自分も踊りたいと思った。だが、舞台に上がらせてくれない。その代わりになったのが盆踊りだった。当時、八王子では一年中、どこかの町内で盆踊りがあったのだそうだ。あちこちに行って踊った。
「炭坑節や花笠音頭、いろいろです。ただ僕はでたらめでした。最初から上手に踊る気がない。踊っている時の言葉にできない、『好きだ』としか言えない感覚がよかったんです」

 10代後半になって、本格的にクラシックバレエを習った時も、バレエの形に対する好奇心と疑問の両方を持っていたと話す。自分で体感しないと何も言えないと、10年レッスンを積んだ。その間も、辞めようと思ったり、実験的な踊りに挑戦したり、いろいろと悩んだ。

 そんな頃、影響を受けたのが、英国の作家コリン・ウィルソンが書いた『アウトサイダー』だったと言う。常識を疑い、社会の秩序の内側に留まることを拒絶し、自分自身の世界を築いた小説家や哲学者たちの作品や人物を論じた本である。
「社会の常識や倫理観に対して違うんじゃないかと言う。そういう常識を破る人たちがいないと社会や文化は変わっていかないわけです。僕はむしろそういうあり方が正当な流れだというふうにワクワクして読みました。すごく影響を受けました」

 やがて田中さんは、全裸に近い形で踊るようになる。それは、なぜ踊りには衣装が必要なのだろうか。音楽をどう考えるのか。舞台とは何なのかと、踊りの常識を疑い、自分なりに考えて出した結論だった。
「設えられた劇場なんか必要なくて、いまあるその場所に行って踊る。そこで自分が何の意味も持たない状態になるためには裸体しかないだろうと思ったんです」
 性を感じさせないように性器を包帯で包み、頭の毛を剃り、全身を茶色に塗った。いろんな場所に出没して、踊った。何度も警察に捕まった。だが観客も増えていった。時に観客が200名にもなることもあった。

「日本はわからないものを否定しますが、パリでは”だから面白い“と考えるんです」

 転機は1978(同53)年。パリでの公演だった。多くの賞賛を浴びた。世界的な評価が固まった。
「日本とパリでは 〝わからないもの〟に対する見方が逆です。日本はわからないものを否定しますが、パリでは 〝だから面白い〟と考えるんです。未知のものに対する知性が高いわけです。このまま続けていけば、どうなるのだろう。ひょっとするととんでもないものになるかもしれない。そう思うんでしょうね」
 踊った後は質問責めにあったそうだ。それは日本では考えられないことだったと言う。

「〝オドリ〟は恐らく体の中にあって、それが踊る場所のいろんな条件と出合っていくということなんだろうと思うんです。そこでやることが一瞬で決まる場合もあるし、ずっと何だろうと右往左往して探し求める。その状態もまた踊りなんです」
 人は生まれてくる前に人間になるまでの生命の進化の歴史を辿るという。それは自分の体に受け継がれているともいわれる。田中さんは、その太古からの体の記憶を、すなわち体の中にある〝オドリ〟を取り戻したいと思っているのだ。

取材・文/鳥飼新市
撮影/富本真之


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本記事は、月刊『理念と経営』2021年10月号「人とこの世界」から抜粋したものです。

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