『理念と経営』WEB記事

顧客を見よ! 新機軸の芽は エンドユーザーの中にある

エステー株式会社 代表執行役社長 鈴木貴子氏 × 一橋大学ビジネススクール教授 楠木 建氏

鈴木社長はエステーを日用品メーカーから「空気ビジネスの総合企業」と再定義し、ブランド価値を高めてきた。そのこと自体が大変なイノベーションだと評する競争戦略専門家で一橋大学ビジネススクール教授の楠木先生。二人が語る、イノベーションを起こす組織の在り方とは。

「ブランド価値経営」を
老舗企業に持ち込んだ

―鈴木社長は2013(平成25)年の就任以来、新型コロナウイルス禍にもかかわらず昨年も売上高・利益ともに最高益を更新され……と、素晴らしい経営をしてこられました。今日はその舞台裏を伺うことで、さまざまなことを学ばせていただければと考えております。

鈴木 社長に就任して八年になりますが、まだ道半ばです。いまはまだ、日用品の分野がどうにか堅調だという段階です。本当はもっと新機軸のビジネスにもどんどん挑戦していきたいのですが、そちらはまだ進んでいません。

楠木 まずは日用品についてお話しいただければと思います。鈴木社長は就任時から、「ブランド価値経営」ということを掲げられましたね。そのコンセプトを、日用品の中でどう推進されたのかという辺りから伺えますか?

鈴木 私はエステー入社以前、ヨーロッパで生まれた一流ファッションブランドの世界で仕事をしてきました。その目でわが社の事業内容を見ると、「ブランド価値を高めよう」という発想がなさすぎると感じました。
 自社商品があまりにも安すぎて、「この状況で、よく利益を出しているものだな」と思ったんです。弊社だけではなく、日本の日用品業界全体が安売り競争の消耗戦になってしまっています。そこから脱却するには、高単価・高付加価値商品へのシフトが不可欠だと考えました。
 それにはデザインから変えないといけない、というのが私の問題意識でした。エステーは顧客の7割以上が女性なのに、男性社員が意志決定層の9割以上を占めていて、「とにかく目立てばいい」という発想でつくられていたからです。例えば、トイレ用の商品ならトイレのイラストが大きく描かれていたり、スポーツ新聞の見出しみたいな「!」マークが付いていたり……。女性たちが「これなら家に置きたい」と思えるような、心休まるデザインのものがなかったのです。

楠木 「目立てばいい」という発想になりがちなのは、日用品メーカーには「量販店の棚に並べたとき、目立たなければならない」という気持ちが強すぎるからです。そのために派手な色使いやデザインでないといけないと思い込んでいる。
 それに対して、良品計画の「無印良品」は、そういう呪縛から解放されて、プレーンでシンプルなデザインを日用品に持ち込んで成功したわけです。同様に、鈴木社長はファッションブランドの世界で培われた美的センスを、日用品の世界に持ち込むことでエステーの業績を伸ばされた。
 鈴木さんを社長に抜擢されたのは前社長の鈴木喬会長だそうですが、会長もエステー入社前には生命保険業界に長くいらした方ですね。業界外からの目を持ち込むことで、業界人には思いつかない改革を推進した点が、お二人の共通項ではないでしょうか?

鈴木 それは言えると思います。叔父(喬会長)は私とは正反対のカリスマ経営者ですけど、共通項があるとすれば、異業種からエステーに入ったという点ですね。だからこそ、変えるべきところがよく見えたのです。

楠木 僕の専門である「競争戦略」の観点から考えると、いまのお話は「WTP」―「Willingness to Pay(支払い意欲)」の問題だと思います。WTPとは、消費者が価値を感じて「喜んで支払う金額」のことです。利益を高めるための方法には、WTPを上げるか、コストを下げるかの2つしかありません。多くのメーカーは、コストを下げることばかりに熱心で、WTPを上げるほうはおざなりになっています。理由は単純で、コストを下げるほうがずっと簡単だからです。WTPを上げる―お客様により多く支払ってもらうほうが、何倍も難しい。鈴木社長はその難しい道を選択された。そのことが過去最高益更新にも結びついたのだと思います。

鈴木 おっしゃるとおり、WTPを上げるのは大変なことです。前職のファッションブランドの仕事は、コスト削減なんてまったく考えず、WTPを上げることだけを考える世界でした。そのためにありとあらゆることをしてきました。

楠木 いまはコスト削減にも熱心に取り組んでおられますね。

鈴木 ええ。意味のない無駄は大嫌いですから。ただ、順番が問題で、まずWTPを上げることがきちんとできてから、コスト削減を考えないといけません。コスト削減だけを目的化してしまうと、地獄行き特急列車みたいになります。

顧客と向き合わず、
競合企業ばかり見ている愚

鈴木 エステーに入ったとき、社員たちが「エンドユーザーを見ていない」と感じました。卸や量販店のニーズには敏感ですが、その先にいる、商品を実際に使ってくださっているエンドユーザーが何を求めているかを、あまりちゃんと見ていなかった。
 後、「A社がこういう商品を出したから、うちも対抗して作らないと」とか、そんなことばかり言っていました。競合と競争して勝つことばかり考えていたのです。例えば、芳香剤の香りのバリエーションをやたらと増やすのですね。なぜかというと、種類が多ければ売り場でのフェイス数(商品が並ぶ列数)を増やしやすいからです。「フェイスを取るためにはバリエーションが必要なんです!」とか言われて、「それより、商品力をもっと上げて、お客様が本当に欲しがっているものに絞ぼろうよ」と私は言ったんですが、最初のうちはなかなか話が噛み合わなくて……。

楠木 勝つためには競争相手との違いを追求しないといけないわけですが、その「違い」には二種類あります。「ベター(better)」と「ディファレント(different)」です。「ベター」というのは「2つを比べたときにどちらがよいか?」という違いで、何らかのモノサシに沿って違いを測るものです。「何%増量」とか、「こちらのほうが効果が高い」といった違いですね。「香りのバリエーションが多い」という違いも、当然「ベター」です。
 ベターとしての違いを追求しているだけでは、競合とのイタチごっこになるだけで、きりがありません。競合他社がもっと増量するなどしてきたら、対抗してまた増量しないと負けてしまう。消費者から見たら些末な、本質的ではない違いを競う消耗戦を続ける羽目になるのです。
 それに対して、「ディファレント」としての違いには、測るモノサシが存在しません。ブランド価値としての違いがそうで、量などには換算できない。それでも、顧客ははっきりと違いを感じるわけです。いかにして自社製品に「ディファレント」としての違いを付加するか―それこそが真の競争戦略なんです。鈴木社長が当初社員と話が噛み合わなかったのは、社員は「ベター」を追求していたのに対して、社長は「ディファレント」を追求しようとしていたからでしょう。

鈴木 おっしゃるとおりです。

楠木 ところで、「トラスコ中山」という、工具などの卸売りをやっている企業をご存じですか?

鈴木 知っているどころか、私、社外役員をさせていただいております。中山(哲也)社長は素晴らしい経営者だと思います。

楠木 僕も、あの方はある種の「戦略芸術家」だと思っています。卸売りの企業は、普通、「在庫回転率をいかに上げるか」を重視しますね。ところが、トラスコ中山は在庫回転率を一切追求しないそうです。「それはなぜですか?」と中山社長に聞いたら、「在庫回転率って、顧客の価値とまったく関係がない数字ですよね。そんなものを追いかけてどうするんですか?」という答えでした。言われてみればそのとおりだと、目からウロコが落ちました。
 鈴木社長のお話を聞いて、その言葉を思い出したんです。「顧客と向き合わず、競合企業ばかり見ている愚」に、いつの間にか陥っている企業は多いのだと思います。

鈴木 私は、「経営とはお客様の満足を追求すること」だと考えています。松下幸之助さんに「経営は生きた総合芸術である」という言葉がありますが、私も同感で、経営者はオーケストラの指揮者とか舞台の芸術監督のような存在だと思っています。私にとって、顧客や周囲と調和を図っていくのが経営者の仕事で、「同業他社を打ち負かそう」なんて、まったく思っていないんです。

楠木 競合との戦いから顧客満足へとシフトすることで、鈴木社長はエステーという会社を変えてこられたのだと思います。でも、会社ってすぐには変わりませんよね。変わっていくプロセスではご苦労もあったかと思いますが……。

鈴木 そうですね。私は創業家の一員とはいえ、よその業界から入ってきた人間ですから、社長になってから3年くらいは、みんながついてきてくれないもどかしさがありました。

楠木 社内の空気が変わったという手応えを感じたのは、どの瞬間でしたか?

鈴木 デザインを変えて、商品の質も少しよくして、価格が3割ほど高くなった消臭芳香剤がヒットしたときですね。「これくらい高くしても売れるものなんだ」とみんなが実感して、そこからは私の話をちゃんと聞いてくれるようになりました。

楠木 「売れた」という結果さえ出せば、即座にみんなが認めてくれるのが商売のいいところですね。勝利条件が極めてシンプルなんです。これが行政とか政治の分野だと、勝利条件が多元的なので、いつまでたっても話がまとまらなかったりします。

鈴木 なるほど。

楠木 エステーさんがデザイン重視にシフトしてヒットを出すと、競合他社も対抗策を打ち出したり模倣したり、いろんな動きがあったかと思いますが、その点はいかがですか?

鈴木 「エステーは女性社長になってからデザインがよくなったね」という声は、けっこうあります。業界でもよく耳にしますし、弊社の株主さんからの反響として伝わってきたりもします。それはとてもうれしいことですね。日用品業界全体で見ても、以前のような「目立てばいい」というような商品が減って、デザインの質がレベルアップした印象があります。

楠木 言われてみれば確かに、御社の製品に限らず、スッキリと落ちついたデザインの日用品が増えてきましたね。

構成 前原政之
撮影 中村ノブオ


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本記事は、月刊『理念と経営』2021年10月号「巻頭対談」から抜粋したものです。

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