『理念と経営』WEB記事

拠り所の「理念」があるから新たな挑戦ができる

株式会社文明堂東京 代表取締役社長
宮﨑進司 氏

都内で3つにのれん分けしていた文明堂の経営統合が完了したのが2014年。
その後、商品ブランディングの統一を図り、新たに飲食事業にもチャレンジした。
その基盤には創業以来受け継がれてきた「人の幸せをつくる」思いがあった

ここぞ、で一丸になれる強さ

創業は1900(明治33)年。“カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂”というキャッチフレーズは、あまりに有名だ。その名を全国に広めたのは創業者の弟だった。22(大正11)年に東京に店を構え、百貨店に出店。その後、子どもたちにのれん分けして、独立した別会社として運営させた。その3つ、新宿文明堂、日本橋文明堂、銀座文明堂は2014(平成26)年に経営統合する。ここで大きな役割を果たしたのが、文明堂東京社長の宮﨑進司さんだ。

「のれん分けは、かつては商売上、大きなメリットがあったのだと思います。しかし時代が変わり、課題も生まれてきた。それがブランディングが一本化できないことです。同じ文明堂なのに商品が違う、と戸惑われることもあった。先代社長が進めていた統合への取り組みは、真っ先にやるべきだと感じました」

実は宮﨑さんは創業家とは血のつながりはない。結婚相手が勤務していた三菱電機の同期社員だったのだが、なんと新宿文明堂の社長の娘だったのだ。結婚する段になってその事実を知り、驚くことになる。
「一人娘ですから、これはややこしいことになるぞ、と。ただ、会社を継ぐつもりも、名字を変えるつもりもありませんでした」

社長だった義父からも、何か言われたわけではない。しかし、義父が長く続いてきたブランドを守るという大事な仕事をしている、と強く感じていた。そしてそのブランドの重みは、年数が経つにつれて自分の中でどんどん大きくなっていった。そんな折、義父が病で倒れる。自分がやるしかない、と決断した。

「とはいえ、普通の会社員でしたから、社長の娘婿とはいえ、外からいきなりやってきて、受け入れてもらえるのか、とても心配でした」

ところが驚いたのは、入社初日から「よく来てくださった」「待っていました」と大歓迎してもらえたこと。ファミリービジネスがどういうものなのか、外の世界にいたからこそ、体感することになった。

「大企業には、いい意味での戦いがあるわけです。競争して、力のある人が上に行く。そこには良い面もあるわけですが、時には不毛な戦いも起きたりします。ファミリービジネスの大きな利点だと感じたのは、そういう必要のない戦いがないということ。それどころか、みんなで社長を盛り立てていこう、という空気がある。ここぞ、というときに、みんなで一丸になれるという強さがあるんです」

時代の変化を利用する

宮﨑さんは工場でカステラ作りを学ぶことから始める。そして義父が推し進めていた経営統合の仕事を引き継ぐ。

「これも運命だな、と思ったんですが、三菱電機で半導体事業の統合プロジェクトに関わっていたんです。だから、統合で最も大事なことが見えていました」

それは、社員の気持ち。どちらかを主・従の関係にはしてはいけない。社員がどっちを向けばいいのか困るような状況にもしない。実は血縁がなかったこともプラスに働いた。しがらみがなく、まったくフラットに統合を進められたからだ。それがわかっていたのか、各社は若かった宮﨑さんを社長にかついだ。


取材・文 上阪 徹
撮影   富本真之


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本記事は、月刊『理念と経営』2021年9月号「特集1」から抜粋したものです。

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