『理念と経営』WEB記事

――私はいつだって自分が着たいと思うもの以外は作らない

作家・山口路子氏

フランス高級ブランド「CHANEL」の創業者ココ・シャネルは今年で没後50年。その代表的な商品である香水「No.5」は誕生100年を迎える。時代を超えてもなお、人々の心を魅了し続ける「CHANEL」。なぜ彼女はこのような最強ブランドを作り出すことに成功したのか。ココ・シャネルの生き方や哲学を日本で最初に紹介した作家・山口路子氏に、シャネルの言葉を通して解説していただく。

「私はこうなりたいと思い、その道を選び、そしてその想いを遂げた」

 はじめてココ・シャネルの生涯についての本を読んだ時、好きとか嫌いとかの感情を越えて有無を言わせない圧倒的な存在を感じました。
 孤児院から人生を始め、「シャネル帝国」と呼ばれる一大ブランドを築き上げたシャネルは、その超人的バイタリティで87歳まで生き抜いたのです。それは「何者かになりたい」という強い思いに突き動かされた生涯でした。
 彼女は1883年に生まれました。女性の仕事といえば洗濯女かお針子くらいしかない時代でした。シャネルは「何者か」になろうと歌手を目指し、やがてファッションに目覚めていくのです。
 シャネルは動きやすく、自分が着たいと思う服を作って着ていただけでした。当時、女性は馬に乗る時には長いスカートのまま横座りをしていました。「そんなの実用的ではない」と、彼女が男性用の乗馬ズボンをはき、堂々と馬に跨って乗っていたのは有名です。
 コルセットでぎゅうぎゅうに体を絞り上げて、長い裾を引きずりながら、頭には飾りをいっぱいつけた大きな帽子を載せて、よちよちと歩く女性たちが、理解できませんでした。
 シャネルには、「嫌だ。あんな女たちと一緒にされたくない」という思いがあり、シャネルの洋服を独特で風変わりなものにしたのです。乗馬ズボンに合わせて、飾りのない上着を作り、それに合うように小さな帽子を作りました。頭に載せるのではなく、ちゃんと被れる帽子でした。
 この帽子が新鮮で、女性たちに評判となり、次々と注文がきたのです。こうしてパリのカンボン通りに出した帽子店がシャネルの人生のスタートになったのです。

「モードではなく、私はスタイルを作り出したのだ」

 シャネルは「人は非常事態の中で才能を発揮するものだ」という言葉を残しています。
 第一次世界大戦下で布地が不足していた時、シャネルはジャージを使って洋服を作ります。ジャージは男性用の下着に使われていた生地でした。その生地で洋服を作ろうとする人などいません。
 しかし、彼女が作ったジャージ素材の服はとても動きやすかったのです。それは、それまで洋服で締め付けられていた女性の肉体を解放したのでした。
 戦争がはじまってから女性も外で働くようになっていました。動きやすいシャネルのジャージの服は飛ぶように売れました。モード誌にも取り上げられ、上流階級の女性や女優たちもシャネルの店に殺到するようになりました。
 この成功をきっかけに、彼女はさまざまな挑戦を続けていきます。「黒はすべての色に勝る」と喪服の色でしかなかった黒でドレスを作り、安価なイミテーション・ジュエリーのアクセサリーも作りました。財力と宝石を切り分けて、上流階級のものだった宝石を誰もが身にまとえるようにしたのです。
 No.5に代表される香水の開発もそうです。はじめて香水に化合物を使い、香りが長続きするようにしたのです。香水で体臭をごまかすのではなく「まず清潔にしなさい。そして清潔な肌に香水をつけなさい」と、彼女はそれを絶対のルールにして、香水を究極のアクセサリーに変えたのです。
 他にもパンツスタイルや繰り出し式リップスティックなど、シャネルが世に出した物は数多くあります。両手が自由に使えるようにと肩に担げるショルダーバックを考案したのも、彼女でした。
 シャネルが世に出したもの一つひとつが、女性のライフスタイルを変える革新的なものでした。「モードは変わるが、スタイルは普遍」。これが彼女の信条だったのです

取材・文/編集部


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本記事は、月刊『理念と経営』2021年8月号「ココ・シャネルの言葉」から抜粋したものです。

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