『理念と経営』WEB記事

医療分野から、 日本の存在感を取り戻す

株式会社アルム代表取締役 坂野哲平氏

独自の医療用アプリを活用し、新型コロナ対策の最前線で働く関係者の負担軽減に貢献している「アルム」。7年前、それまでの主力事業を売却し、あえて一筋縄ではいかない医療ビジネスに飛び込んだ。大転換の背景にあった坂野社長の原体験とは。

All medical――「全ての医療を支える会社」を理念に掲げるAllm(アルム)は、坂野哲平さんが代表を務める医療・ヘルスケアITのベンチャー企業だ。
医療関係者がリアルタイムで患者の情報を共有し、診察・治療の際にコミュニケーションをとれる「Join」。病歴や服薬などの医療データを管理し、自分や家族への対応を支援する「MySOS」。2021年度の「Japan Venture Awards」で中小企業庁長官賞を受賞するなど、医療や社会福祉とITを結びつける技術が高く評価されている。
そんななか、同社のサービスでいま注目を浴びているのが、新型コロナウイルスの流行のなかで、昨年から自治体で活用され始めた「Team」というシステムだ。

「コロナ対策の体制を作る上でITが必須だ」

東京都や沖縄県など全国五カ所で使用されている同システムは、PCR検査で陽性となった人の既往歴やアレルギーといった情報を一元管理し、重症化リスクのある患者のいち早い発見を目指す。LINEとの提携によって、これまで電話だった朝夕の容態のチェックをチャットボット(自動対話プログラム)で行えるようになり、最前線で働く保健所の負担を大幅に減らした。
「Teamはもともと、在宅や施設で介護を受ける高齢者の療養管理の仕組みでした」と坂野さんは解説する。
「その人の容態、服薬情報を介護士さん、かかりつけ医や看護師さん、ケアマネージャー、理学療法士さんなどがアプリで共有し、適切なリハビリや療養を行っていくためのものだったんです」
 ところが、昨年1月に新型コロナの流行が始まり、2月には横浜港に停泊していたダイヤモンドプリンセス号でクラスターが発生した。多くの陽性者が無症状または軽い症状というウイルスの特徴がわかるに連れ、「全員が入院すると病院がパンクする。自宅や施設での療養が始まる」状況が予想された。
そんなとき、横浜港での対応の渦中にある神奈川県の医療危機対策本部から、坂野さんの知恵を借りたいと連絡があった。彼自身も所属する東京慈恵会医科大学の先端医療情報技術研究部の畑中洋亮氏が、同県の対策本部の統括官をしていた縁からだった。
「これからコロナ対策の体制を作る上でITが必須だ、と。『これ、本気でやるつもりがあるか』と言われ、官を畑中さんが担当し、民間を私がやるという役割分担が決まっていったんです」
アルムはわずか三週間で「Team」を改良。自宅や施設療養に使えるシステムを作り上げて提供した。その後、特措法の改正など国のコロナ対策の基盤整備が進められる中、Teamが神奈川県以外の自治体にも導入されたことは前述の通りだ。現在までに同システムでは七万人以上の患者の療養をサポートしており、さらには冠婚葬祭や大規模イベントの現場における感染予防対策にも活用され始めている。

「世界の中の日本」を意識した少年時代

ところで、アルムが医療分野に向けてITサービスを展開し始めたのは2014(平成26)年。実はそれまでの同社は「スキルアップジャパン」という社名で、映像配信のプラットフォームを開発する企業だった。坂野さんは七年前に事業を売却し、医療分野に特化したビジネスを開始した。
「当時、これからは医療にすべてを向けると言ったときは、スタッフから『殿、ご乱心』と言われたものです」と彼は振り返る。
「ただ、当時は薬事法の改正でITにも健康保険の点数がつくようにもなり、そこにビジネスチャンスがあると思ったんです。もちろん、そう一筋縄ではいかない業界ではありましたけどね」
 では、なぜ彼はそのような大きな転換を考えたのだろうか。そこには事業を行う上で「世界」を常に見据えてきたという彼の原風景があったといえるかもしれない。
坂野さんは1978(昭和53)年に三重県の鈴鹿市に生まれた。父親は大手自動車メーカーに勤めており、小学生の頃に工場のあるアメリカのオハイオ州に転勤。以後、高校を卒業するまで現地で過ごした。自宅の窓からは地平線が見え、鹿などの野生動物が歩く姿が見えるような「田舎」だった、と彼は笑う。
「タイムスの表紙に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と出ていたのが中学生の頃。ダイムラー・クライスラーやGMの業績の悪化など、アメリカの絶頂期から衰退までを現地で見た経験は大きかったと思います。そのなかで『世界の中の日本』を意識するようになったし、日本に戻ったら海外に出られるような仕事をしたい、と思うようになったからです」

「アンフェア」な医療の現実を変えたい

また、そうした自らの原点を語るとき、彼がもう一つ思い起こすことがある。それは帰国後に早稲田大学理工学部に入学し、中野区下落合の一風変わった学生寮に暮らした体験だ。文科省の外郭団体の学生寮で、250人ほどの入居者の半数が外国人留学生だった。

取材・文 稲泉 連
写真提供 株式会社アルム


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本記事は、月刊『理念と経営』2021年7月号「スタートアップ物語」から抜粋したものです。

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