『理念と経営』WEB記事

変革の種はいつも顧客の声にある

株式会社鎌倉新書 代表取締役会長CEO 清水祐孝 氏

「出版社」から「情報加工業」へ自社の在り方を見つめ直した鎌倉新書。仏教関連の書籍から供養関連の書籍やセミナー、そして「いい葬儀」をはじめとするインターネットポータルサイトの運営。革新を起こし続けてきた鎌倉新書の根底にあるのは顧客とのコミュニケーションで得た気づきだ。

鎌倉新書は、出版社だった。主に仏教関連の書籍を発行してきた。だが、現在の収益の9割はインターネット事業の収入なのだという。といっても、電子出版の売り上げというわけではない。これまで仏教関連の出版社として蓄積してきた知識を生かして立ち上げた、「いい葬儀」「いいお墓」「いい仏壇」などのポータルサイトが時代のニーズに合ったのだ。右肩上がりの売り上げで、2017(平成29)年には東証一部に上場した。その立役者が2代目で現会長の清水祐孝氏である。清水会長の事業領域拡大の苦闘の始まりは、父親からの1本の電話だったという。

―入社のきっかけは先代からの電話だったそうですね。
清水 はい。1990(同2)年です。27歳でした。証券会社に勤めていたのですが、突然、父から「事業を手伝ってくれ」という電話があったのです。鎌倉新書の経営が厳しいということは薄々知っていたのですが、細かいことまではわかりませんでした。手伝えと言われてもすぐには無理だと、半年待ってもらい入社したのです。
―会社はどんな状態でしたか?
清水 非常に厳しかったですね。つくっているのが仏教の本でしたので、そんなに数が出るというものでもないし、注文があれば在庫を出すという感じです。月末の支払いにも事欠くような状態で、1人いた社員も辞めてしまって、入社したときは父と2人でした。ただ、寺院を対象にした『宗教と現代』という月刊誌を出していたのです。数千部ほどの雑誌ですが、毎月お寺を取材し、そこの歴史などを紹介して必要な部数を買っていただいていました。これで細々と収入を得ていたのですが、借金は減りませんでしたね。
―金額はどのくらいあったのですか?
清水 なんやかんや合わせると一億円弱くらいでしょうか。会社の年間の売り上げが3、4000万円ほどだったので債務超過もいいところですよね。このままでは先が見えない。何か突破口を見つけなければと、常に思っていましたね。3年目だったと思います。いつも出入りしていたお寺で、たまたま葬儀があったのです。それで葬儀というのはどれくらいの市場があるのか調べてみたのです。
―それが変革のきっかけですか。
清水 そうなんです。調べてみると、確か当時で年間90万人くらいの方がお亡くなりになっていました。マーケットサイズを調べると平均150万円ほど葬儀にお金をかけているそうです。計算すると1兆3500億くらいの市場があるということがわかりました。そのとき雑誌のターゲットを仏教関連から供養業界向けにシフトをしようと思ったのです。内容も供養関連のものを増やして、誌名も月刊『仏事』に変えました。

私たちは本ではなく
情報を売っている

―雑誌を供養関連にシフトしたことで経営が安定したわけですね。
清水 そうです。取材先に葬儀社の社長さんたちが加わりました。すると、業界のいろんなニーズや課題を聞くようになったのです。多くの参列者はお焼香の仕方を知らないとか、数珠の持ち方もわからないとか、です。なら、そうした作法も解説した、お葬式のハンドブックをつくったらどうだろう。それに葬儀社の名前を印刷すれば喜ばれるんじゃないかと。そんな発想で、販促のための冊子などもつくり始めました。そうするなかで経営が少しずつ好転していったのです。人も、1人、また1人と増えていき、借金も徐々に減っていきました。
―その頃、また新たな気づきをされたと伺っています。
清水 はい。毎月、あちらこちらの葬儀社に取材に行くのですが、あるとき取材をしていて、はたと気づいたことがあったんです。葬儀社の社長さんたちは月刊『仏事』を買ってくれているけれど、それは紙とインクでできている雑誌が欲しいんじゃなくて、雑誌に書かれている中身が知りたくて買ってくれているんだ、ということです。私は、それまで鎌倉新書は出版社だと思い込んでいました。それに縛られていたんです。だけど、よく考えたら、自分たちが売っているのは情報じゃないかと。出版というのは情報の届け方の形に過ぎない。鎌倉新書は 〝情報加工会社〟だったんだ、と思ったのです。
―自社の位置づけを変えて事業領域を広げていったわけですね。
清水 その通りです。情報の届け方にこだわることはない。出版業という業態に縛られなければ可能性が広がります。まずセミナーを始めました。コンサルティンイグという考え方もあります。一つの取材で得た情報を雑誌で売り、セミナーでも売り、コンサルでも売るなど、とても自由になりました。
―それはいつ頃ですか?
清水 96(同8)年くらいです。その頃には、借金もなくなっていましたね。

取材・文 中之町新
写真提供 株式会社鎌倉新書


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本記事は、月刊『理念と経営』2021年5月号「企業事例1」から抜粋したものです。

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