『理念と経営』WEB記事

同じ木が一本もないように、人も性格や癖が違う。その不揃いが面白い

宮大工 鵤工舎棟梁 小川三夫 氏

奈良の法隆寺や薬師寺東塔などは何百年も建ち続けることを見据え、木の癖を読み、活かす宮大工の技によって建てられている。高校の修学旅行で法隆寺を訪れ、先人の技に圧倒された小川さんは、いかに宮大工の技術を身につけ、多くの弟子を育ててきたのか。その姿から「人財育成」の神髄が見えてくる。

職人にとっては現場が一番の教室

宮大工集団「鵤工舎」の修業は住み込みの共同生活である。それは創設者の小川三夫さん自身が経てきた道でもある。

小川さんは、伝説の宮大工といわれた奈良の西岡常一棟梁の内弟子として棟梁の家に住み込んだ。棟梁と一緒に食事をし、一緒に働き、夜は遅くまで一人で道具の刃を研いだ。そのスタイルがそのまま鵤工舎に引き継がれ、今も体で記憶させ、体で考える修業が行われている。

「技や感覚を言葉で伝えるのは不可能です。本人が掴むしかない。私たちができるのは、その環境をつくってやることだけなんです」

小川さんが鵤工舎を設立したのは1977(昭和52)年、西岡棟梁の内弟子になって9年目のことだった。理由は2つ。1つは飛鳥・白鳳だけではなく鎌倉や室町時代の寺社建築も勉強したかったこと。2つ目は食える宮大工にならなければと思ったことである。

西岡棟梁は法隆寺専属の宮大工だったため、仕事が少なかった。仕事がないときは自分の畑を切り売りしながら凌ぎ、次の仕事に向けて精進を重ねていた。小川さんは鵤工舎をつくることで仕事のフィールドを全国に広げようと考えたのだ。

「仕事がないと技術の伝承もできません。職人にとっては現場が一番の教室ですから……」

師匠・西岡棟梁は、喜んで弟子の独立を後押ししてくれた。

鵤工舎の新弟子たちが、まずやるのは食事の支度と掃除である。あとはひたすら刃を研がせる。

それには大きな意味がある。

「食事の支度をすれば仕事の段取りや思いやりがわかります。思いやりがなかったら飯はつくれません。掃除をさせるとその子の性格がわかります。見える所だけをやる子もいれば、見えない所まで一生懸命にやる子もいる。一年ほど見ていると、この子はどう育てればいいかわかるんです」

人を育てるのに急いではいけない。これが、小川さんの持論だ。

「職人は勉強のように少しずつわかってくるんじゃないんです。一気にわかる時、変わる時がある。その時に背中を一押ししてやる。すると10にも100にも開く。だから教えちゃいけないんです」

教えたら半日でできることも、本人に任せる。できるまでに4日も5日もかかるかもしれない。だが、それを待つのだ。

「教えるのは簡単なことだけど、何も身につかない」

小川さんはそう言う。小川さん自身、西岡棟梁に教えられたのは後にも先にも「鉋屑はこういうもんだ」と一枚の削り屑を渡されたことだけだった。その鉋屑を窓ガラスに貼り、同じように削れるまで毎晩、鉋の刃を研いでは削り、研いでは削りを繰り返した。

「棟梁は『お前はこうだ。ここが違う』なんて言わない。本当は教えたほうが楽だし、早い。だけど教えない。自分で感じ取れということです。それが親切心だね」

 悩みながら、刃を研ぎ続ける。そうしているうちに「おっ」と思う時がある。それはどんな時かといえば、いい刃物が研げる体ができた時だと言うしかないそうだ。だから、ひたむきに刃を研ぐ。

「時間の長さに打ちひしがれそうになることがあります。しかし、それに負けては終わりだ。それを乗り越えるのは、やっぱり手取り足取りではなく、放っておかれた人間なんだ。職人は『なにくそ』という根性がなければ駄目なんです」

 その意味でも、職人は「育てる」のではなく「育つ」のだという。

取材・文 鳥飼新市
撮影 伊藤千晴


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本記事は、月刊『理念と経営』2021年3月号「伝統を未来につなげる」から抜粋したものです。

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