『理念と経営』WEB記事

しなやかな柳のように、再び立ち上がる力を人は持っている

精神科医・医学博士 清水 研

一般的な外来診療とは別に、レジリエンス外来と銘打ち、がん患者やその家族の「こころのケア」に従事している清水さんは、「人は困難に直面し落ち込んでも、レジリエンス(ばねのように元に戻る力)が備わっている」と言い切る。何千人もの患者と向き合うなかで見えてきた、人間の大いなる力とは――。

自殺率24倍が物語る、がん患者の喪失感

  がんは治る病気になった、といわれている。しかし、2人に1人ががんにかかる時代になり、それはいまも日本人の死因の第1位であることには変わりないのだ。

「確かに早期発見すれば、がんは7割は治るようになりました。逆に言うと3割の方は亡くなるわけです。早期発見しようにも検診がないがんもありますし、進行性のがんもありますし……」

4000人を超えるがん患者たちの話に耳を傾けてきた精神腫瘍医の清水研さんは、そう言う。いまだにがんは怖い病気なのである。

「ある日突然、がんを告知されるということは、激しい『喪失体験』だと言えます。それは、死と向き合うこと以外にも、それ以前の生活で当たり前のように持っていた多くのものを失うことを余儀なくされることでもあるんです」

そのショックの大きさは、がん告知後1年以内の自殺率が一般の約24倍というデータからもうかがえる。そんな喪失体験の中にいる患者や家族に寄り添い、患者本人ががんと向き合っていけるようにこころのケアをする。精神腫瘍医とは、がん患者やその家族と伴走する精神科医のことである。

それまで、ごく普通の精神科医だった清水さんが、精神腫瘍医を志したのは2003(平成15)年、31歳の春のことだった。

「重い精神病ではなく、神経症のような、自分自身も抱き得る悩みに対応する分野で仕事をしてみたいと思っていたんです」

ある時、国立がん研究センターで働く医師の講演を聴き、がん告知によって抱える患者の苦悩を知った。それは誰にも起こる悩みである。自分もがんの患者さんの役に立ちたい――。そう思った。

それがきっかけとなり、清水さんは国立がん研究センターに勤めるようになった。最初の赴任先は、千葉県柏市の東病院だった。

ところが、すぐに大きな壁にぶつかったという。

「これまで精神科医として学んできたことが、ほとんど役に立たないんです。何より患者さんにどう声を掛けていいかわかりませんでした。がんの告知を受けるとどういう状況になるのか自分が想像できなかったので、患者さんの悩みに向き合えなかったのです」

指導医は、相手の話をよく聞いてくればいいんだよ、と言ってくれた。そのアドバイスを杖に、3年は頑張ってみようと思った。だが清水さんは、当初はいつも何かあると一般の精神医療の現場に戻ろうかと考えていた、と話すのだ。

多くの患者たちに「変わる瞬間」がある

  東病院で勤務して2年目、ある若い患者と出会った。口腔がんが再発した青年で、口の中いっぱいに腫瘍が大きくなり、食事も十分には食べられないし、話すこともできなかった。会話は、いつも筆談でしていたのだという。

「なのに、彼はいつも明るく前向きで、むしろ私たちを元気にしてくれるような、勇気を与えてくれるような存在でした。どんなときでも人は前を向いていけるんだと、すごく衝撃を受けました。衝撃を受けながらも、それがすごく不思議だったんです」
その不思議な感覚は、この青年からだけではなく何人もの患者からも感じた。ちょうどそんなとき、心理学の心的外傷後成長の理論を勉強する機会があった。そのことで、この不思議さを心理学的に納得することができた。

「一時は衝撃的な出来事に打ちのめされても、人はあきらめや絶望を乗り越えて、まるでしなやかな柳の木のように再び立ち上がってくる力を持っているんです」

さまざまな喪失を認め、新しい現実と向き合う力、その力をレジリエンスという。患者たちは誰もがレジリエンスを発揮して、病気になる前とは異なる新たな世界観を見つける。多くの患者と接するなかで、清水さんはそのことを実感していった

自分の人生に感謝をしたり、目に映る風景の見方が変わったり、生き甲斐について深く考えるようになったり、大切だと思うことの優先順位が変わったり、誰かの役に立ちたいと思うようになったり……。誰の中にも、こういう変化が起きてくるというのである。

取材・文 鳥飼新市
撮影 鷹野 晃


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本記事は、月刊『理念と経営』2020年11月号「人とこの世界」から抜粋したものです。

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