『理念と経営』WEB記事

今こそ「原理原則」を貫け(下)

じゃあ、このバケツの中に顔を入れてみなさい

  現代社会はあまりにも科学文明が進み過ぎて人物学が疎かになり、物事の基本的な原理原則に無関心な人が増えてきました。日創研の代表発起人でもある伝記作家の小島直記先生は芥川賞候補にノミネートされながら、90歳で亡くなりました。

私どもの時習堂の庭には、小島先生自筆の江戸後期の儒学者・佐藤一斎の言葉「血気には老少有りて、志気には老少無し」が刻まれた碑を建立しています。若いときには血気に逸(はや)ってその勢いでできる。しかし、志がなければ老いてすぐ衰える。志気には老少の差はない。志がしっかりある者には、たとえ100歳を超えようとも老いや少[わか]きはないのだ、という意味です。

まさに、小島直記先生や伊與田覺先生のような方々です。小島先生には創業期、先に「小島塾」を開催いただきました。芦屋のマンションにお住まいいただき多くをご指導賜りました。小島塾の講義には多種多様な方たちがたくさん登場され、そのなかに〝電力王〟〝電力の鬼〟といわれた松永安左エ門翁がおられます。松永翁は帝国議会の衆議院議員を務め、美術コレクターや茶人としても知られます。特に原理原則に則って、戦後の日本のエネルギー問題で徹底して戦われ、尽力された経済人です。

松永翁は1875(明治8)年、長崎県壱岐の商家に生まれました。そして、はるばる上京して新設の慶應義塾大学に入り、福澤諭吉先生と出会います。老いてなお、「わしは一生涯を戦いながら生き抜いた」と豪語する猛者だけに、若い頃から話題に事欠かない人物です。実家が裕福であり、教師さえも持っていないような大島紬の袴や白足袋を身に着けていたそうです。

小島直記先生は松永翁を4回お書きになられていますが、小島塾の折、その出会いの光景を講義されました。「先生、私のふるさとの海女は10分も潜って多くのアワビをとり、どこの海女にも負けない者たちばかりです」と言います。松永翁はたいした苦労もしていないお坊ちゃんですが、福澤先生は大分の中津藩の下級武士の出身です。大阪の適塾で、蘭学者・医者として知られる緒方洪庵に徹底して学び、士農工商の階級社会を批判しています。

そして、咸臨丸で渡米し、欧州に渡って「最大多数の最大幸福」を理想とした英哲学者ジェレミ・ベンサムの功利主義を学び、自分の努力と才能と勤勉で幸福を掴まなければならない、という考えを持った人です。有名な明治の大ベストセラー『学問のすゝめ』の学問は実学(科学)であり、非常に現実的な教えを大切にしました。

ですから、福澤先生は松永翁から海女の話を聞いて「そうかそうか。じゃあこのバケツの中に顔を入れてみなさい」と、水の入ったバケツを持ってこさせ、松永翁の顔を入れさせます。すると2分も持たずにプワーッと苦しい声を出して顔を上げたのです。その姿を見届けて、福澤先生は「君、いい加減なことを言うものではないぞ。どこに10分も息を止める海女がいるか」と諭されます。

この一件以来、松永翁は福澤先生に師事し、次第に物事の道理や原理原則に目覚めていきます。

“電力王”はいかに原理原則を貫いたか

  1950(昭和25)年、朝鮮戦争勃発時の松永翁に触れます。日本の企業は特需で、にわかに全産業に〝起死回生〟のチャンスが生まれます。ところが、電源開発をして、エネルギーを生み出さなければ何もできません。日本は喫緊の課題として電源開発の必要に迫られます。吉田茂第三次改造内閣の時代です。松永翁は慶應義塾大学中退後、若いときから筑豊炭鉱で金を稼ぎ、電力経営も体験していました。そこで松永翁は政府によって左右されないように、「日本発送電」の解体を考えていました。


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本記事は、月刊『理念と経営』2020年11月号「論語と経営―「社長塾」より(43)」から抜粋したものです。

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