『理念と経営』WEB記事

我慢して、我慢して、 我慢していれば、 いつかドカンといい風がくる

スキージャンプ 葛西紀明

この5月。またしても前人未到の快挙を成し遂げた。スキージャンプ・ワールドカップ個人最多出場回数を569とし、「ギネス世界記録」の認定を受けたのである。16歳で日本代表入りし、間もなく三十数年――。いまなお進化し続けるレジェンド、葛西選手のアスリート哲学に迫る。

悔しさを、力に変える

 スタート地点から見るジャンプ台のアプローチは、まるで垂直に落下する感覚だ。遥か向こうに家々が小さく見えた。長野五輪(98年)の舞台となった白馬ジャンプ競技場。通年、スキージャンプ(以下ジャンプ)ができる。
 七月末、葛西紀明さんは白馬で合宿に入った。あいにくの雨だ。だが、スタートバーに座るとためらう様子もなく滑り出す。たちまち後ろ姿が小さくなり、気づくともう空に飛び出していた。
 今季初めてジャンプだという。
「いやぁ、緊張しました。飛ぶのは5カ月ぶりくらいです」
 練習後、葛西さんはそう言った。
 選手寿命は30歳といわれる競技である。48歳になったいまもまだ現役として世界で戦い、ジャンプの本場である欧州の選手たちから「レジェンド」と称賛されている。そんな葛西さんでも緊張するのかと、新鮮だった。
 ジャンプは、それほど過酷なスポーツなのだろう。
「確かに理不尽な競技です」
 100mほどのアプローチを時速90㎞ものスピードで滑走する。その数秒間に踏み切りのタイミングを計っていかなければならない。
「うまく飛び出せても、風がいいかどうかわからないんです。前の人はとてもいい向かい風だったのに僕が飛ぼうとしたときには風が悪くなったり……。ほとんど運ですよ。だけど、耐えた分だけいい風が吹くんです。我慢して、我慢して、我慢していれば、いつかドカンといい風がくるんです」
 例えば98-99年シーズンのワールドカップの最終戦が、そうだったという。飛び出した瞬間、すごくいい風がきた。普段よりも2m近く体が持ち上げられた。
「それだけ体が上がると、だいたいの選手は恐怖心で体を起こすんです。すると失速する。僕はそのとき絶対に体を起こさないぞと思いました。負けてたまるかって」
 この試合で優勝し総合3位になった。そこまで闘志を持てたのは、その年の2月に行われた長野五輪での悔しさがあったからだ。
 長野五輪で男子は団体戦で金メダルを獲得した。残念ながら葛西さんは団体戦メンバーに選ばれなかったのだ。このとき、五輪で金メダルを獲ることが目標になった。
「あの悔しさがあるから、僕はジャンプをやれているんです」
 白馬で合宿をすると、いまも闘志が湧いてくるという。

ソルトレークでの完敗がターニングポイントに

 葛西さんは、1972(昭和47)年に北海道・下川町で生まれた。ジャンプが盛んなところで、町でも選手の育成に力を入れていた。

取材・文 鳥飼新市
撮影   富本真之


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本記事は、月刊『理念と経営』2020年10月号「人とこの世界」から抜粋したものです。

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