『理念と経営』WEB記事

伝説のラリードライバー再び。 「誰よりも、少しでも前へ」

ラリードライバー 篠塚建次郎

世界で最も過酷なモータースポーツ といわれる“パリダカ”で日本人初となる優勝を飾るなど、数々の栄光をつかんできたラリー界のレジェンドが、古希を前に再び大舞台に挑み、さらに今、「喜寿」での走破を掲げる。孤高の挑戦を続ける篠塚さんを突き動かしているものとは、一体何か――。

70歳を前に心境が変化した

 早朝。藍色の薄明かりに砂丘のシルエットが黒く浮き出されていく。やがて太陽が輪郭を現すと黄金色の光が砂の大地を照らす――。
「砂漠の夜明けは本当にきれいですよ。人工のものが一切ない。この “何もない”というのが、一番の魅力かなぁ。360度、砂丘しか見えない。そこを、荷物を運ぶラクダが越えていくんです」
“伝説のラリードライバー”篠塚建次郎さんは、サハラ砂漠の魅力をそう語る。
 1991(平成3)年に世界選手権(WRC)コートジボワール・ラリーで優勝し、九七年にはパリ・ダカールラリー(以下:パリダカ)で優勝した。どちらも日本人として初のことである。
 陸上競技でいえば、WRCは短距離、パリを出発して西アフリカの港町ダカールまでの1万2000km前後の距離を走るパリダカはマラソンに譬えられるのだそうだ。
「当初はWRCで優勝するというのが自分の一番の夢だったんです。それが、だんだんパリダカのほうが面白くなっていきました」
 ところが、2008(同20)年以降、治安の問題でパリダカの開催がなくなった。そのため篠塚さんはラリーから遠ざかり、ソーラーカーや電気自動車のレースに出るようになった。そうして10年。70歳を前にした一昨年、心境が大きく変化したのだ、と話す。
「このまま死んでいくのもいいけれど、何かもう一回、自分にできることはないかなって考えるようになったんです。すると、自分には走ること以外ないんですね。走るなら、自分を育ててくれたアフリカだなと思ったんです」
 もう一度アフリカを走りたい。調べると、かつてのパリダカとほぼ同じ場所を走るアフリカエコレースが行われていることを知った。このレースに出よう。そう決めて、チームをつくり、スポンサーを募り、資金を集めた。
「“70歳の挑戦”だと、家内に話したんです。すると『別に70歳に限定しなくても、もっとやれば』と言ってくれまして……」
 スローガンを“70歳の挑戦”から“古希から喜寿へ”に変えた。

「社員ドライバー」の自覚と誇りを胸に

 篠塚さんがラリーというモータースポーツを知ったのは、大学一年のことだった。1967(昭和42)年、半世紀以上も前である。友人から「一緒に参加しないか」とレースに誘われたのだ。
「“えっ!? ラリーって何だ?”という感じです。決められたコースをドライバーとナビゲーターが一緒になって走るレースだと言うんですよ。よくわからないけど、やってみようかと始めたんです」
 東京から富士五湖を目指すレースだった。篠塚さんはナビを担当した。途中、砂利道[じゃりみち]で車が横にズズッとスライドしたのだ。
「ぞくっとしました。初めて体験する感覚です。瞬間的に、これは面白いと思ったのです」
 それからはラリー漬けの大学生活を送ったという。

取材・文 鳥飼新市
写真提供 有限会社ドリームロード

本記事は、月刊『理念と経営』2020年7月号「人とこの世界」から抜粋したものです。

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