『理念と経営』WEB記事

事業永続のためのM&A

マロニー株式会社 会長 河内幸枝

「とんとん拍子で運びました」と河内幸枝会長が言うとおり、マロニーは従業員を一人も辞めさせることなく、社名も商品名も変わらず、社長も続投というかたちで後継者問題に終止符を打った。同社が自社株100%をハウス食品グループ本社に譲渡したのは2017(平成29)年7月。河内会長はどんな思いでM&Aを決断したのか。

社員が最後まで勤めてくれる会社であるために

マロニーの創業は1950(昭和25)年。戦後、シベリアでの抑留を経て日本に帰ってきた吉村義宗氏が、鍋に入れても煮崩れしない春雨製造に取り組みマロニーを開発、会社の礎を築いた。その吉村氏が70歳を機に社長を退くに当たり、後継者として指名したのは長女の河内幸枝現会長だった。

ただ、その前に吉村氏は、河内会長の夫を自分の後継者にと考えた。大手広告代理店勤務の娘婿は商家の一人息子だったが、実家を継ぐ気配がないことから、常務取締役としてマロニーに迎え入れたのだ。しかし、娘婿も創業者タイプ。5年間マロニーにいたが、会社を離れ起業した。その結果、長女の幸枝さんが継ぐか、廃業するか、という局面を迎えたのだった。河内会長は「自分に何ができるかといったことは考えずに、とにかく『やらなくては』という思いで引き受けました」と言う。そして84(同59)年に40歳で入社したのだった。

後継者として入社したものの、父は何も教えてくれない。仕事らしい仕事も任せてもらえない。箱入り娘、専業主婦だったため、経営はもちろん仕事に就いた経験すらない。何をすればいいのかわからない河内会長は、まず「現状把握」から始めた。
財務諸表の読み方は知らないけれど、売り上げ、利益、預金残高、借入金額をノートに書き込み、さらにそれを俯瞰できるようグラフ化する。月ごと地域ごとの数字をこまやかに整理し、疑問があるたび社員を質問責めにする。
10年単位で会社の動きを記したことから「10年ノート」と名づけたノートは、まさに河内会長の努力の結晶。それは、会社の進むべき方向を示してくれる貴重な資料で、今は4冊目が稼働している。
実は、中村玉緒さんを起用した「マロニーちゃん」のテレビCMを決断したのも、このノートのデータからだった。当時、西日本に比べ、東日本の売上比率が低い実態を「10年ノート」から把握し、関東での認知度を高める必要を感じたからだ。「社員が最後まで勤めてくれる会社でありたい」という思いで経営に当たってきた河内会長は、「守りの経営を心がけた」と言う。「現状を死守するには、攻めて守ること。一袋でもいいから去年よりも多く売りましょう」と社員たちに呼びかけた。「両親が生きている間は絶対にこの会社を人手に渡したり、なくしたりすることはできない」という一心で続けた。

河内会長は「自分は中継ぎのつもりだった」と言う。子ども3人のうち2人が男の子。父の後を継ぐことになったとき、まだ中学生だった2人について、長男は夫の家の事業を継ぐだろうから次男にマロニーを継がせたい、とおぼろげに思い描いていた。


愛用の「10年ノート」。月次の売上高、損益など会社の財務データが収められている。

取材・文 中山秀樹 
撮影 編集部

本記事は、月刊『理念と経営』2020年6月号「小特集」から抜粋したものです。

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